ジルコン

オリジナル小説置き場

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[06]  雪中の足音
[05]  中毒
[04]  天体観測
[03]  月光
[02]  つきのうさぎ
[01]  夢

夢 /後編

 ダーラの言う通り、数日もすると隆宏は風景が二重写しになることに慣れてしまい、気分が悪くなることも無くなった。いつの間にか、目が覚めるとどんな風景が見えるのか楽しみになっていた。
 また、隆宏はあまり良い印象を持っていなかったダーラと、親しく話すようにもなっていた。左目を共有しダーラとテレパシーで話す事ができるようになっただけで、特に不具合はない。それよりも、祖父がダーラの左目を所有していた理由への興味が強い。話しかけてくれるのに、いつまでもだんまりむっつりでは大人げないと思ったのも理由のひとつである。
「私は『存在するモノ』なんだよ。人間は私のことを、龍とかドラゴンなどとよく言い表しているな」
 ダーラと話すのは、おおかた、隆宏が床についてからであった。視覚を刺激するものがダーラの視覚だけ、という環境が気に入ったのらしい。
「龍って……昔話とかにでてくる、あれ? お前もしかすると、すごい年寄りじゃないのか?」
「まぁ、隆宏よりは長生きしているな。そうだな……富士の山が爆発したのを見たことがあるぞ」
「それって俺より長生き、とかのレベルじゃないだろ? でも、それじゃちょっと変だよな。龍って、ずーっと」
 「昔から居るじゃないか」と続けようとして、隆宏は閉じていた目を開ける。
「仲間がいるってことか」
「そういう事だ」
 ふうん、と言ったきり、隆宏は再び目を閉じると黙り込んだ。畳の上に寝ころんだまましばらく何も言わず、眼下を後ろへ流れ去る太平洋の大海原を眺めている。
 ──が、不意に意識をダーラに向けた。
「なあ」
「ん?」
「なんでさ、じいちゃんに左目盗られたわけ?」
 答えづらいかなと、なかなか言い出せなかった質問であったが、ダーラは拍子抜けするほどあっさりと答えてくれた。
「盗んだのは瀬津老ではない。盗んだのは別の人間で、老が生まれるずっと前のことだ。流れ流れて瀬津老、そしてお前の手に渡っただけのことだよ」
「なんで盗られたんだ?」
「私は体の一部を盗まれたら、所持している者の願いを叶えなければならない。あのとき私の左目を盗んだ人間は、何か願いを叶えたかったらしい。だが、私に願いを言う前に願いが叶ってしまった。その後は持っているだけで願いが叶うとして、人の手を転々としたのだよ。本来は盗んだ者の願いを叶えるものだから、取り戻すことにしたのだ。いつまでも左目がないと不都合でもあるし」
「結構のんびりやだな」
「忙しかったんだよ。仕事があるからね」
「仕事? 龍に?」
「ああ。私たち『存在するモノ』は、魂を喰わなければならない。それが仕事なのだ。ここ100年、東アジアは争い事ばかりだったろう? 死人が多く出れば、それだけ多くの魂を喰らわねばならないのだよ」
「喰われたら……どうなるんだ?」
「それは私には判らない。世界中に居る仲間も、恐らく知らないだろう。会って話をしたことはないから、確証がないがね」
「──じゃあさ、じいちゃんの魂も喰った?」
「それが仕事だからね」
 そっか、と呟いたきり、隆宏は口を閉ざした。少し間をおいて、視界が回転した。ダーラが旋回したのである。これはおしゃべりを終了する時の、ダーラの癖であった。
「さあ、そろそろお休み。明日から夏期講習だろう? 夢を叶えたければ、今できることをがんばることだ」
■ ■ ■
 熱っぽい日が、ここしばらく続いていた。
 隆宏はぐいとネクタイを緩めると、スーツを脱がずに広げっぱなしの布団に倒れ込む。
 一週間ぶりの帰宅であった。片する時間がなかったため、不在の間敷きっぱなしだった布団は、少々かびくさい臭いがした。
「夏だしなぁ……」
 だからといって、どうするわけでもない。ひどく疲れていたからであるが、それよりも勝利の余韻に浸りたい気持ちの方が大きい。
「勝った……勝ったぞ。俺は勝ったんだ!」
 祖父が亡くなって十年、紆余曲折はあったが、隆宏はなんとか法曹界に仲間入りすることができた。大学の恩師の紹介で先輩弁護士の事務所に入り、雑用をこなすこと二年、簡単な民事裁判を受け持つようになって一年。やっと……やっと夢が叶ったのだ。
 悪質なひき逃げ事故。のらりくらりと追求を避け、あの手この手で逃れようとする加害者。両親を一気に亡くし、祖母に泣きすがるしかない幼い姉妹……。
 自分の過去と重なる被害者の家族をどうしても救いたくて、体調が悪いことを忘れ一心不乱に職務を果たそうと動き回った。その結果が今日、出たのである。
 刑事事件で無罪となった加害者に、罪を認めさせたのだ。
 過去に叶えられなかった夢が今日、隆宏の過去とは全く別のものではあったらが、叶ったのだ。正義は勝つと言う気はないが、それでも正義がまだこの世の中にあったことが嬉しかった。
「叶ったんじゃない。これからだ、叶えるのは……」
 隆宏の夢は、弁護士になって弱者を手助けすること。ありきたりではあるが、大きな夢だった。
 いや、「だった」ではない。今日は夢が叶ったのではないだ。やっと踏みしめた第一歩なのである。
「じいちゃん、おれ、やったよ……」
 体調不良による体力の消耗と、長時間に渡り張りつめていた緊張が解けたせいで仏前に報告することも忘れ、隆宏は泥のように眠り始めた。
 あつい……。
 ひどくうなされ、跳ね起きるようにして隆宏は目を覚ました。
 汗は流れ続け、荒い息は治まらない。体の中に溶鉱炉でもあるかのように、体が熱かった。倒れるようにして、再び布団に寝転がる。
「あつい……」
「気分はどうだ、隆宏」
 気が付くと自分の顔が見えた……いや、ダーラが隆宏の顔をのぞき込んでいるのだ。
 顔を会わせるのは初めて出会ったとき以来であるが、言葉を交わすのはひと月ぶりであった。会話できないばかりか、左目の共有もできなかったのである。
 一番に訊きたいことがある。しかしそれよりも、体の熱さが隆宏を支配していた。
「あつい……」
 隆宏はもう一度呟く。ダーラは隆宏の前髪を掻き上げた。
「そうだろうな。私も同じ苦しみを味わった」
「同じ……? 何か、したのか……?」
「いいや、何もしてはいないよ。私はね」
「どういう、ことだ……」
「私たち『存在するモノ』が、悠久の時を生きるのは話したな」
 返事をするのも億劫そうに、隆宏は小さく首を縦に振る。
「私たちはね、死なないのではなく、死ねないのだよ。死ぬことなく、生まれた時からずっと、魂を喰らうだけ。そうすると、どうなると思う?」
 隆宏は答えることができずに、熱で潤んだ目でダーラを見上げるしかできない。
 この十年、隆宏はダーラと多くのことを話した。だが、ダーラが自分のことを語ったのは、いったいどれだけあっただろう……?
 一度だけ目にしたダーラの仕事ぶりが、隆宏の脳裏に蘇る。
 死してなお、ダーラから逃げ回る魂。断末魔をあげ叫び苦しむ様は、二度と見たくない情景であった。
 長いもの間、仕事として喰らう側にいたダーラが感じていたことを、隆宏は知ることがなかった。一度見たそのさまを忘れるために目を固く閉じ、耳を塞いだからである。
「──死ぬことが夢になるんだよ」
 ダーラは隆宏の髪を撫でつけながら、さらに続ける。
「何故か私たちは、同族に出会うことがない。存在は知っているのに、だよ。これでは、他の者の目を抉り、死なせてくれと願うことができない。だがね、たったひとつだけ、同族と出会う機会がある。体の一部を持ち去られ、それの持ち主が願いを言わず、持ち主が代わり代わって100人目に達したとき、その100人目は10年を経て、同族として生まれ変わるのだ。同族と会えるのは、この時だけだ」
 ダーラは手を止めると、右手の親指と人差し指、そして中指を口に含み、ねっとりと唾をからめる。そしてその三本の指を、隆宏の左目に伸ばした。
「俺が、その100人目だと……?」
「そう。だから、私の願いを叶えてくれるね……?」
 ぐちゅり、と指が遠慮為しに眼窩に入り込む。その痛みに、隆宏は声のない悲鳴を上げた。
 だが、妙に冴えた頭の隅では、別のことを考えていた。
(ああ、そうか。これだ。これが夢なんだ……)
 ダーラと出会った夜に見た夢。跳ね起きるほどの不快な夢。
 抉られるのが不快なのではない。不快なのは……。
「ダーラ、俺たち、友達、だよな……?」
 紹介したい女性が居るんだ。きっとお前も気に入って……。
「隆宏、私の願いを叶えて欲しい……死なせておくれ」
 夢なら、早く覚めてくれ。あの時のように……!
 薄れ行く意識の中、隆宏はダーラの手のひらを転がる青いガラス玉を、ぼんやりと眺めるしかなく。
 そして、瀬津隆宏の、人間としての意識は途切れた。
 過去、人間であったダーラの時と同じく……。

あとがき
 サイト開設の第一作です。第一作が、なんとも暗い話に……。おまけに、書いている途中、二転三転するし。プロットたてろ!って最たる例ですね。
 実を言うと、サイトを立ち上げる前にあちこちと作家さんのサイトを見て回っていたんですが、その時に立ち寄ったサイトさま(閉鎖)の企画に触発されて思いついたネタなんです。投稿しようかどうかはちょっと悩んでいるのですが。ここをご覧になった書き手さま、よろしかったらいかがですか?
 ではでは皆様、今後ともよろしくお願いします。
(2002/11/3)
(2002/11/09 改稿)
 
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