ジルコン

オリジナル小説置き場

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天体観測

「クリスマスなんか嫌いだ」

 12月24日。
 世間ではひと月前から浮かれ騒ぐ準備を始めるが……僕は、この日が好きじゃない。むしろ、嫌いな部類に入れる。
 なぜなら、この日は僕──末木聖(まつき さとる)の誕生日だからだ。
 自分の誕生日が嫌いだなんて聞くと、人は僕に哀れみの視線を突きつける。「せっかくのクリスマスなのに」と。僕はそれが嫌いなんだ。
 物心ついたときには、僕のバースデーケーキはその存在意義を無視されていた。プレゼントだって例外じゃない。つまり、僕にとって特別な日なのに、周りの人間は特別な日と認めてくれない。自分たちの誕生日は特別な日と思っているのに。
 僕の目の前に置かれるのは、クリスマスケーキとクリスマスプレゼントだけ。何故、バースディケーキとバースディプレゼントじゃないんだ?
 誕生日を祝って欲しいとぐずったことは、一度や二度じゃない。クリスマス前に交渉したことだってある。
「そんなことしたら、ヒロシもプレゼント欲しがるでしょう」
「ヒロシはちゃんと誕生日して、プレゼントもらってるもん。ボクだって、ちゃんと誕生日プレゼント欲しいよ」
「サトルがもらっているの見たら、ヒロシも欲しがるの」
「だって……」
 判ってくれない親の非情さに半泣きになりながら、僕はつたない言葉で訴えたものだ。だけど、どんなにがんばっても、
「お兄ちゃんなんだから、我慢しなさい」
 このひと言で黙らざるを得なくなる。最初はそれでもぐずったけれど、小学二年生にもなれば「お兄ちゃんなんだから」が交渉失敗の印だということに気づいていた。
 あまったれでわがまま。そんな年子の弟が我慢を強要されるようになる頃にもなると、家族に誕生日を祝ってもらうチャンスは無くなる。
 かわりに友人たちとクリスマスには馬鹿騒ぎをするようになり、誕生日なんてイベントはさらに縁遠いものになってしまった。
 マメな者がいると、誕生日であることを思い出してくれて、『ハッピーバースデー・トゥー・ユー』を合唱してくれることが何度かあった。この時ばかりは、ほんの少しだが嬉しくなる。
 でも、やるせないさみしさは必ずつきまとう。クリスマス・イブ生まれだからと言う理由で、僕は『聖』という字を名前に当てはめられた。友人が憶えていてくれるのは、これのせいだ。おかげで、なおさら気分が重くなる。
 僕の誕生日は、ついでに祝ってもらえるような添え物でしかない。彼の偉大な人物の誕生日が対戦相手ならまだ諦めがつくかもしれないけれど……この日は、単なる『前夜』でしかない。
 ただの夜に、僕は敗れ去るしかできなかった。
■ ■ ■
 そんな20年だった。
 だから、杉の木のてっぺんに星が輝いているのを見つけたとき、自然と先のセリフが口から滑り出していた。
「え、なに? 何か言った?」
 少し離れたところで青いビニールシートを広げていた茅原千香(ちはら ちか)が、その手を止めて顔を上げた。茅原の額に光るライトが僕の横顔を照らすが、眩しくはない。セロファンを貼られ赤く染められた光に、目を射る強さは無いからだ。
「何か言わなかった?」
 「いいや」と言おうとした矢先、茅原がフェンスにへばりつく僕の横に並んだ。ここで否定して憎まれ口を叩かれるのも悔しかったから、仕方なく、星を見つけた方角へ顎をしゃくってみせた。
「やっと帰ったみたいだよ」
 大学構内の中庭で、中庭の中央に立つ杉をクリスマスツリーとして飾り立て、どこかのサークルがパーティを開いていたのだ。酔狂な人間は意外と多く、寒空の下で開かれたビアガーデンは盛況で、することなく突っ立っていた僕の耳にも喧噪が届いていた。
 騒ぎは終わり、教室から引っ張り出されていた机やイス、そして派手に散らかっていたゴミは片づけられたようだけれども、ツリーの飾りはそのままになっている。どうやって飾り付けたのか、十メートルはありそうな杉の頂上には、お決まりの大きな星も乗っかっていた。僕はその星を見つけたのだ。
「ホントだ。やっと片づけ終わったんだ。あー、よかった。ずっと電気が点いてたら、どうしようかと思っちゃった」
 茅原は本当に嬉しそうに、目を細めた。
 彼女は僕とは違い、クリスマスが嫌いじゃない。研究室に手作りの小さなツリーを持ってきて飾り付けていたぐらいだから、クリスマスというイベントは大好きなんだろう。
 いくら好きなイベントだったとしても、卒業論文の作成に邪魔になるようなら好ましくない、と判断はするようだ。
 天体観測をするにあたって、一番の敵は『光害』だ。どんな害なのかは字の通り、光の害。
 たった一つの街灯の灯りでも、観測者の近くにあれば夜空の暗い星々を隠してしまう。
 山の中にある五階建ての建物の屋上でも、五十メートルと離れていない場所で街灯がてかてか光っていれば、意味のないことだ。
 目を暗闇に慣らすため、僕と茅原はすでに一時間も寒空の下にいた。カイロをいくつもポケットにつっこみ、セーターもマフラーも靴下も重ね着していても、寒いものは寒い。体は冷え切ってしまっている。
 本当なら、二年生の僕と茅原は卒論制作に焦る必要は無い。それ以前に、天文学の研究室に配属される予定ではあるけれど、決定は三月になってのこと。現状はまだ未配属。
 正式に配属されるまでは、卒論の準備はおろか、研究室へ行く必要もないのだけれど、予定の時点で研究室に入りびたる物好きはいる。
 茅原はその種類の人間だった。とりあえず大学に入っただけの僕とは違い、天文の勉強をしたくてこの大学に入学したという彼女は、入学当初から研究室に入りびたっていたらしい。
 予定では、僕は化学の研究室に入るはずだった。それがどういう訳だか、専攻する学生が少ない地学、それも、唯一の天文の研究室に配属されることになってしまった。
 化学の人間も地学の人間も、『科学』という分野わけで同じ授業を受けることは多々あり、クラスは違っても、『科学』くくりで皆が顔見知りだった。もちろん、僕と茅原も例外ではない。それに配属予定が発表された時点で、配属先の同じ者が顔を会わせる機会があった。
 だから、暇な人間はいないかと研究室の先輩から相談を持ちかけられた茅原が、僕を当てにしようと思いついたのも不思議ではない。
 一週間前にクリスマスの予定を聞かれたとき、その場にいたクラスメイトは一斉に僕を冷やかした。しかし茅原が、先輩の観測の手伝いを捜していること、そして僕がクリスマスに予定がないことを知ると、二種類の同情を僕に向けた。一つは、クリスマスに予定がない淋しい者として。もう一つは、茅原は少々強引なタイプなため僕が絶対に断れない、ということを見越してのものだ。
 友人らの予想は外れることなく、僕はクリスマス・イブのこの夜、自然科学棟の冷え冷えした屋上にたたずむことになった。

 年に一度、たった数日間だけの小さな天体ショウを見逃せなかったのは、年明けに卒業論文の提出締め切りを迎える四年生だ。
 この流星群の今年の出現は、今日で最終日。数日前から観測を行ってはいたけれど、もともと流れる星の数が少ない流星群だったため、薄曇りと月の光で良いデータがとれなかった。今回のデータが無ければ卒論が書けない、といったせっぱ詰まった状況ではないけれど、データは多いにこしたことはない。
 風は弱く晴れ渡り、今夜こそはと意気込んでいた矢先のお祭り騒ぎだった。この棟の周囲の街灯を消して観測を行う予定だったが、僕ら以外の人間が構内に居ては街灯を消してもらえない。
 彼らが帰るまで、僕たちは、口径が30センチ以上もある大きな望遠鏡で土星の輪を見せてもらったり、星座を言い当てる特別テストを受けさせられたりと、無理矢理に時間をつぶさなくてはいけなかった。

 茅原は半球型の観測ドームに駆け寄ると、かがまなければ入れない小さな入り口から中に声をかけた。
「先輩、中庭、終わりましたよ」
「サンキュ。じゃあ、今から守衛さんとこ行って電気消してもらうから。末木君と待ってて」
「はあい」
 ドームの中から直接、屋内へ下りていった先輩を見送り、茅原が再び僕の隣に舞い戻る。
「で、どうしてクリスマス嫌いなの?」
 どうやら、しっかり聞こえていたようだ。まあ、仕方ない。聞こえるように言ったつもりはないけれど、聞こえないように気をつけてもいなかったんだから。僕は素直に白状した。
「僕の誕生日とイブが同じ日だから嫌いなんだよ」
 一瞬ぽかんとした茅原だったが、ゆっくりとまばたきを二回して、それからカラカラと笑い声をあげた。
「なに、もしかして、誕生日を祝ってもらえなかったから、クリスマス嫌いなの?」
「──悪いかよ」
「ホントに? ガキねぇ」
 この言葉に、僕はさすがにむっとした。いや、自分でもガキだとは思う。けど、面と向かって言われると、さすがに気分は悪かった。
「怒った?」
 僕は返事をしない。子どもだと思うけど、止められなかった。
 茅原はもう一度「ホント、子ども」と呟くと、ねえ、と指さした。さっきの星のオーナメントだ。
「あれ、何か知ってる?」
「知ってるよ。この間授業でやってたろ。いくらなんでも、まだ忘れてないさ」
 イエス・キリストが生まれた時に輝いたと言われる、『ベツレヘムの星』だ。クリスマスといえば、との前口上を付けて教授が授業を脱線させた。授業と関係ない話だったから、聞くべき話よりも記憶が鮮明だ。
「あの星の正体はまだ判ってないって、先生言ってたじゃない。もしかしたら、本当はなにも輝かなかった可能性があるかもしれないわよ」
「──かもね」
 何を言いたいのか読み切れず、僕は半分、上の空で返事を返す。茅原はそれに気づいていたようだが、何も言わずに先を続けた。
「ところで質問なんだけど。末木君って、何時に生まれたか知ってる?」
「なんだよ、いきなり」
「いいから」
「──日付変わる、ちょっと前だよ」
「そ。じゃあ、ちょっと待ってて」
 僕の問いに答える気はないらしく、再び茅原は観測ドームに向かう。そしてほどなく戻ってきた。手には正座早見盤を携えて。
 彼女は「見て」と、赤色ライトで照らしたそれを僕の前に差し出す。その早見盤は、12月25日、午前0時丁度の星空を描いていた。つまり、僕が生まれた数分後の夜空の地図、ということだ。
「末木君が生まれた時間って、明るい星が沢山あるでしょ」
 茅原が指し示す指先を追って見てみると、本当に言う通りだ。
 冬の大三角形を形成する、オリオン座のベテルギウスとリゲル、そして、こいぬ座のプロキオン。
 おおいぬ座の口元にあるシリウスは、星空の中で一番明るく輝く星だ。そのシリウスに次いで明るいけれど、地平線上を這うように移動するため見つけにくい、りゅうこつ座のカノープス。
 頭上の方には五角形の一角を彩るぎょしゃ座のカペラ。カストルとポルックスは、12星座のひとつに挙げられる双子座の頭にあたる。
 これらの星はかなり明るい星で、少々の光害があったとしても見つけやすい。
 僕は我にも無く、南の星空を見上げていた。
 大学の南側は低い山々の嶺が地と天との境界となっている。その境が高さを持っているため、カノープスは見えなかった。例え見えていたとしても、山の向こうにある街の光でかなり見えにくいだろう。それほど街の光は明るい。山の端からそびえ立つ光の壁のせいで、低い位置に輝いているはずの暗い星々は人工の光に飲み込まれ全滅していた。
 さすがに、高い位置の星々には影響を与えられないらしく、早見盤の位置から少し東側に寄った場所に、カノープス以外の、先ほど名を挙げた明るい星々が輝いている。あと数時間もすれば、手元の星図と同じ位置に星が並ぶはずだ。
「キリストの星はあんな高さで輝きもしないけど、末木君の星はこんなにたくさん、それも手の届かない遠くで輝いているんだから、クリスマスぐらいですねるんじゃないの。ね」
 そう言った茅原はもう一度、目を細めた。僕がなんと言っていいのか判らず戸惑っていると、ドームの方から彼女を呼ぶ声が聞こえる。守衛の詰め所まで出かけていた先輩だ。茅原はくるりときびすを返して走って行き、そしてすぐに戻ってきた。今度は缶コーヒーを二本持っている。
「はい、先輩から差し入れ」
 受け取った缶は思ったより熱く、手の中で数回転がす。そして冷えないうちにと早速口を付けようとすると、
「末木君」
「ん?」
「ハッピーバースデー」
 かこん、と缶を軽くぶつけてきた。何が起こったのかよくわかっていない僕に、茅原はにっこりと笑いかける。
「お礼は?」
「──ありがとう」
 僕はなんだか照れくさくて、そっぽを向いた。

 僕が誕生日に欲しかったもの。それは、クリスマスなんて関係ない、僕の誕生日でしかない日。
 それがたった今、手に入ったと思えた。数々の星というバースディプレゼントと共に。
 茅原の話は子どもだましだ。でも僕は、それで満足だった。やっぱり子どもだ、と心中でため息を吐く。でも、それでも嬉しかった。バカでも子どもでも単純でもいい。僕は嬉しかったんだ。
 緩みそうになる口許からこぼさないよう、コーヒーをちびりちびりと飲んでいると、眼下の光が一斉に消える。
 天上の星は待っていましたとばかりに、さらに明るく輝きだした。

あとがき
 季節ものを書いてみました。もともとは『ベツレヘムの星』がタイトルでしたが、ブランバー様に作家登録したので、その投稿の一作目として、「自分の好きな曲のタイトルを使った作品を書こう!!」のお題用に投稿しました。
 自分としては、パンチがないなと思うんですが、良案がでず……。いい案が出れば、書き直したいと思います。
(2002/11/18)
(2002/11/23 改稿)
 
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