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BとTのCP30題

01 背中

「ここで入手できる情報は、もうないだろうな」
 トグサは小さく息を吐き、空を仰ぎ見た。
 曇天を突き刺すように伸びる、尖った巨岩。元は神戸と呼ばれていた地域に立ちつくす大戦前の遺物は大きく傾き、崩壊して、ガラスは全て割れ落ちてしまっていた。
 そんな高層ビルのなれの果ては、ひからびたミイラの指を連想させる。助けを求めるかのように天へ伸ばされていた。まるで、住人の想いをそのまま具現化したかのように。
 彼らが彼らである理由は様々である。戦後に己の地位のヒエラルキーを上げ損なった者、何かしらの犯罪を犯し身を隠している者、招慰難民としての地位から抜け出そうと居住区から逃げ出した者──。
 彼らは大きな声を出せない者が多い。出せたとしても、助けてくれる者に届かない場所に住んでいた。海の対岸に、新浜市街が見えるというのに。その見える場所から、凶荒者たちが彼らを狩りにやって来るというのに。
 存在自体に神経を逆撫でされるから。新たに換装した義体の性能を試したいから。暇を潰したいから。楽しいから……。
 故に身を守るため、テリトリー──第六再開発地区──に侵入する他人に対して非常に神経を尖らせるという特徴を、ここの住人は有するようになっていた。
 今回の事件で殺害された男も、この地区の住人からすれば侵入者に分類される。居住地は新浜市内、職業は自由業だが、それは暴力的で警察の目を常に気にしているような類のものである。その就業に従事するために、この辺りによく出入りしていたらしい。被害者はある意味ここの住人にとって顔見知りであったため、足取りや同行者の有無を知るのは、そう難しいことではなかった。
 トグサは薄赤く染まり始めた空を見上げたまま、電脳通信のチャンネルを相棒のハヤシへと合わせた。
『そっちはどうだ?』
『それなりに。そっちは?』
『こっちもだ』
『じゃあ、引き上げるか』
 合流場所を確認して電通を切る。さて、と踵を返した直後だった。
 トグサは弾かれるように、頭(こうべ)を回(めぐ)らせる。もう一度周囲をぐるりと見回してから方向を定めると、引かれるように歩を進めた。
 廃墟と廃墟のすき間、かつてはビルの谷間と呼ばれていただろう狭い空隙にトグサは体をねじ入れる。
 数歩進んだところで、空間は急に広がった。外から見たら人ひとり通るのがやっとのすき間としか見えなかったのに、中は車一台は走れそうな空間がまっすぐ奥へと続いている。
 その先を見極めようと日の光が届かない薄暗がりの中で目を細めたトグサは、瞬間的に身を強張らせた。
 落ち崩れた瓦礫でどん詰まりとなった数十メートル先に、男がいたのだ。
 皮らしきジャケットを羽織っ広い背中に、一つに束ねた白髪が垂れ下がっている。それがやけにトグサの目を引いた。背を向けられているため、顔が見えないからだろう。巨躯だとか妙に薄い気配だとかより、白髪の揺れるその背中がトグサの目に焼き付いたのだ。
 声をかけようとトグサが短く息を吸うと同時に、男がわずかに振り返る。
 影で、顔は見えない。その顔の影を、トグサは凝視する。
 ──やはり、見えない。説明の付かない小さな苛立ちに、トグサは声をかけた。
「おい、アンタ……」
 言い終わるより先に、男は急にしゃがみ込むとぐんと伸び上がる。トグサが息を呑んだ瞬間、男の体は宙に舞っていた。地上から十メートルほど飛び上がると、元は窓だったのだろう、ぽっかりと空いた壁の穴に手をかけ、中へ飛び込む。
 あっと言う暇も無かった。瞬く間に、男はトグサの前から姿を消してしまったのだ。
 逃げられたと気づくと同時に、追いかけるのは無理だということをトグサは悟る。あんな人間離れしたアクションを行えるのはサイボーグ以外に居ない。電脳以外は生身のトグサに、追いかけることができる対象ではないのだ。
 溜め息を一つこぼし、通路の底へ目を向ける。そこにある物を見つけ、トグサはわずかに体を強張らせた。
「ここにも……」
 つぶやいて、トグサはふらりと『それ』へ近づく。
「これも派手にぶっ壊れているなぁ」
 しゃがみ込んで『それ』──女性型の頭部を掴みあげる。
 頭蓋骨格をこじ開けて中身を確かめると、あるのはAIチップのスロットだけだった。チップそのものは見あたらない。
 脳殻がないということは、雌型アンドロイドということになる。これはトグサが予想していた通りのことだった。
 ぼろくずのようにまとわりつく人工皮膚の具合から、遺棄されたのは昨日今日のことではないようだ。首の切断面からは、錆びた金属骨格が見え隠れしている。
「どこにでもあると言えば、あるんだよなぁ」
 頭をひっくり返したり、指先で頭蓋の内部を撫でてみたりする。飽くほど眺めてみてもやはり、ただのアンドロイドの部品だ。
 トグサが『それ』に気が付いたのは、一ヶ月ほど前のことだった。聞き込み先近くのゴミ捨て場にアンドロイドの残骸が積まれていたのを見つけたのだ。
 最初は気にもとめなかったが、ここのような廃墟の片隅や、街の裏通りのさらに奥のゴミがうずたかく積まれた空間──つまり人気のない場所で、雄型・雌型関係なくアンドロイドの残骸を何度も見かけるようになったのだ。
 同僚にそのことを話すと、特に気にとめる必要のないことだ、と返された。ジャンク屋が部品を取って投棄したのだろうと言われれば、トグサもそれに納得できる。しかし、何故か気になるのだ。
「なんだかなぁ」
 頭部を脇に置くと、トグサは辺りを引っかき回し始めた。縦に裂けた左足、乳房をもがれた胴、下腹を裂かれた腰、金属骨格が突き出た右肩──やけに破損が大きいのは、愉快犯的破壊者から攻撃を受けたのかもしれない。破壊の度合い以外は、特に気になる物事は見あたらなかった。
「やっぱり、気のせ……」
『トグサ、どこだ?』
 ハヤシからの電通だった。慌てて時刻を確かめると、先ほどの通信から半時間が過ぎている。
『悪い。今戻る』
 手にしていた部品を地面に置き、立ち上がろうとしたトグサの目に、ある物が飛び込んだ。
 アンドロイドの髪の毛に、何かが絡まっている。
 指先に乗る程の、五ミリ四方の黒い欠片。
(メディアチップ……?)
 通常は一枚から数枚をスティック状の入れ物に収納し、外部メモリとして使用するメディアだ。珍しい物ではないが、チップそのものを裸の状態で目にすることはあまり無い。
 そして、このアンドロイドのAIスロットには小さすぎるシロモノだが、スロットに入るアダプタさえあれば利用できないこともないだろう。
 深呼吸一つ分の時間、指先のチップを見下ろしていたトグサは、それをそっとハンカチに包みポケットに仕舞った。
― 続 ―
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