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BとTのCP30題

08 深夜残業

 バトーから転送されたファイルを前に、トグサはしばし固まっていた。これが初めての本格的な電脳戦となるからである。刑事時代は歩き回って聞き込みをしたり、直接被疑者と対峙するような、肉弾戦の役回りだった。電脳戦は、それを専門に扱っている者が取り仕切っていたのだ。
 相手は、九課が相手をしようとしている犯罪者である。訓練を受けたとはいえ、何も情報を与えられぬままに対峙するには、正直に言って腰が引ける相手だ。
『どうした、怖いか?』
 わかりやすい挑発だった。しかし、バトーの言葉を否定するわけにも、首肯するわけにもいかない。それこそ腰が引けていることがばれてしまうだろう。
 トグサは短く息を吐くと、与えられたファイルを展開させた。
 家族のために、情報を流出させるわけにはいかない。その意志を補強したのが、訓練で得た自信であった。
『そこの端末には防壁も乗っているから、無茶してもかまわんが、もう一人をふんづかまえる間の足止めで充分だ』
『了解』
『防壁破りは三日前の復習だ。ヘマするなよ』
『そっちこそ』
 腹を据えたトグサは、講習内容を思い出しながら、操作を開始した。
 視界の端では目標が立ち上がり、運び屋へ近づこうとしている。
■ ■ ■

 待ち人の登場に気づいた義眼の男は、カップを口から離さず左手を挙げた。相手は短く言葉を発して応えると、コーヒーを購入してから向かいに腰を下ろす。
 先客の男はゆっくりとココアを飲み干してから、口を開いた。
「遅かったな」
「そうか?」
「五分の遅刻だな」
「それなら、あいつの所為だ。俺の所為じゃない」
「結構、ゆっくりしてたみたいだけど?」
「それもあいつの所為だ」
「ふぅん」
 意味ありげに応えたボーマは空の紙コップをダストボックスへ放ると、次の飲み物を物色し始める。その様に後から来た男──バトーはあきれ声を上げた。
「また飲むのか?」
「ここの自販機は、マイナーな物が多いんだよ。せっかくだから味見したいだろ?」
「それはお前だけだよ」
「そんなもんか?」
「そんなもんだ」
 そう断言したバトーだったが、待てよ、と呟いた。
「そうだな、今ならどんなに不味いアルコールでも、味見してやってもいい」
「訓練生と一緒に禁酒中だったな。気の毒なことで」
「そう思うなら、気を利かせて差し入れを三つ四つ持ってきても、罰はあたらないぞ」
「そこまでは気が回らなかったな。なんせ、大事なお使いがあったし」
 意味深に笑うボーマは、ようやく次のジュースを購入して元の席に戻る。それをバトーは、少し不満げな言葉で迎えた。
「それなんだがなぁ。なんだか、えらく簡単になってる気がするぞ」
「そうか? 注文通りのはずだぞ」
「だったら、おじいの腕が落ちたってことか」
『そんなこと言うヤツには、特製のウイルスぶち込んでやるぞ』
 電通で会話に割り込んできたイシカワの声には、少しばかり笑いが含まれていた。
『バトー、お前が泣いて頼むから作ってやったんだぞ。ありがたみがわからんヤツだな』
「誰が泣いたって? ここの研修ソフトを少しいじっただけで劣化させた言い訳にもならねぇぞ?」
『どこが劣化してるって? お前さんが自由に出演できるようにプログラムを組み直してやったんだ。すばらしいと褒め称えるのならともかく、そう言われるのは心外だな』
「こんな簡単じゃあ、テストにもならねぇよ」
『お前の教え方が下手なのがわからなくって良いだろ?』
「んなわけあるか。見てみろ、この手際の良さ。教え方がいいからじゃねぇか」
『おーおー、そうだなぁ。きっちりセオリーをこなす、いい優等生だなぁ』
「本来はこういうモンなんだよ。裏技しか使わないおじいと一緒にするな」
 バトーは視界の隅に展開させている二枚の画像を見比べた。一方にはベンダールームで男と格闘しているバトーが映し出されているが、これはバトーが操作している虚像である。
 もう一方にはプログラムの進行状況と、隠しカメラが捉えた端末と向き合ってまんじりとしないトグサの様子が映し出されている。
「でもまぁ、あいつにはちょうどいいレベルか。だいたい、ウイルス流し込まれたことぐらい気づけよな。この先が思いやられるよ」
 誰に言うともなしに呟いたバトーの言葉に、ボーマが応えた。
「無茶言うなよ。ノーマル防壁しか入れてないんだから。これを見破られたらそれこそ、イシカワの腕が落ちた言い証拠にはなるかもしれないな」
『だから、俺の腕は落ちてないって。だいたいボーマ、お前も手を入れているんだから、その発言は自分の首を絞めるようなものだぞ』
「俺は手伝っただけだから」
『それを言うなら、俺も手伝っただけだ。責任は仕事を回してきたバトーに回帰すべきだな』
「なんだよ、そのこじつけは」
 苦笑を漏らしたバトーは、もう一度トグサの様子をうかがう。
 テストの攻略度数は、そろそろ半分を超えようとしていた。少しばかり予想より速いペースである。
 職員による情報リークというのは、トグサを試すためのバトーの作り話だった。
 そのためのソフト制作をイシカワとボーマに頼んだのは、一週間ほど前のことである。
 できあがったソフトは圧縮して電通で送ってくれれば良かったのだが、「電脳以外は総生身である新人の顔を見に来たついで」のボーマが、わざわざメディアに入れて持ってきたのだ。
 新人候補ではない。本人の知らぬところで、トグサは新人としての地位がすでに定まっていた。決め手は素子による鶴の一声で、訓練が始まってほどなくのことである。
 故に、このテストに意味は無い。あえて意味を持たせるのならば、研修の成果を見るためのものである。
 別の見方をすれば、トグサをどこまで育てることができたかバトーの技量を計るもの、とも言えるかもしれなかった。
 本気かどうかは判らないが、素子としては、後者の意味合いに感心があるようだ。試験者であるはずの己こそが試されていると思うと、なんとも複雑な気持ちがバトーの胸中に渦巻いた。
「お、最後の難関に突っ込んだな」
『ここにセオリーは通用しないぞ。教官はどこまで教えてくれたかな?』
 バトーの内心を知ってか知らずか、イシカワとボーマは好き勝手なことを言い合った。
 ほどなく、追加の飲み物を物色しようかと立ち上がったボーマは、四苦八苦するトグサを眺めて黙り込むバトーに気がついた。
「バトーはまだ、反対しているのか?」
 激しい主張はなかったものの、バトーはトグサの採用に付随するデメリットを多く口にしている。他のメンバーは採用に関して静観を決め込んでいたので、意図せずバトーは反対派のレッテルを貼られていた。
「採用が決まったんだ。いつまでもそんなこと言ってる暇はねぇよ」
「不満そうだけどな」
「こんなところで手こずられてちゃ、不満ぐらい出るさ。まあ、他にもいろいろとこなしてもらわなきゃならない事が沢山あるから、これだけにこだわるつもりはねぇがよ」
「じゃあバトー的に、どこまでできたら合格なんだ?」
 ボーマの質問に、バトーはすぐさま答えを返す。
「俺が背中預けられるまでに決まってるだろ。それができなかったら、ケツを蹴り飛ばして九課から叩き出してやる」
 さてと、とバトーは腰を上げた。
「やっと終わったか。こんなに時間をかけやがって。残り一週間、びっちりしごいてやる」
 そう吐き出した言葉に、心なしか喜色がわずかに混じっていることに気がついたのは、それを直接聞いたボーマだけであった。

■ ■ ■

 対象を掌握した直後、電脳錠をかけられた男が床に崩れ落ちた。
 トグサは状態を保持しつつ、監視カメラの画面を最大限に広げる。画質が好くない上、上半身が見切れてしまっているので、倒れた男が誰なのか判別がつかない。
『おい、大丈夫なのか?』
 電通を送ると、すぐさま返事が戻ってきた。
『お前と一緒にするんじゃねぇよ』
 視界にバトーが立ち戻る。手には電脳錠が握られており、それをトグサが確保している男の首に差し込んだ。
『お疲れサン。コーヒーおごってやるから出てこいよ』
『一番良いヤツ飲ませてくれるなら』
『好きなだけ飲め。こいつら片付けてから行くから待ってろ』
 電通が切れてから、トグサは首からプラグを引き抜いた。
 そして、絞り出すように大きく息を吐き出すと、天井を仰ぐ。
 その顔にはうっすらと、笑みが浮かんでいた。

― 続 ―
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