「とりあえず、今までの経過だ。頭にたたき込んでおけ」
渡されたボードから引き出したQRSプラグを、トグサはまたも少しもたつきながらうなじへ接続する。データを展開するたびに表情が硬くなるトグサを時折見やりながら、バトーはリンゴを食みつつ、受け取ったデータに不備がないかチェックを始める。
「葬式も墓もない」と、至極当然の答えを返しただけのはずである。だのになぜ、トグサには言い訳を取り繕わねばならなかったのか。自分自身のことであるのに、バトーにはそれが不思議でたまらなかった。
そんなことは、今まで誰にもしたことがない。
新兵時代には、兵役を終えたらプロポーズするんだ、などとはにかみながら言うヤツや、帰ったら娘に顔を忘れられているかも、とうれしそうに写真を見せる新米パパとか、そういった同僚が腐るほどいた。だから、大事な者を持つ兵士たちの存在を知らないわけではない。そういった奴らにも、トグサにしたような言い訳はしたことがなかった。いや、する必要が無かったのだ。どんなことを言い合っていても、死んだときのことなんか、誰も口の端にも上らせなかったからである。
皆、帰るつもりでいた。戦場から愛する者の元へ。それが叶ったヤツがいれば、アマゾンの泥水に沈んだ者もいる。生き残った者の中でバトーの様に帰るつもりがない者は、今もこうやって銃弾の雨の中を駆け回っている。同僚の面子が変わっても、やはり死んだ後のことを質問するヤツはいなかった。
初めてなのだ、トグサが。
(だからか)
初めてだからとまどった。それで言い訳した。つまり、そう言うことなのだ。
得心したバトーは、三つ目のリンゴに手を伸ばした。
はじめはただの噂だった。「えらく良い裏AVソフトがある」というような、とてもありふれた。
だが、その後ろに付いた尾ひれが、九課のアンテナにふれた。
「まるで、本当にゴーストを持った相手とシているような感度の良さだ」
調べていくと、いくつかのダミー会社を経由して、中華系マフィア『ヘイロン』にたどり着く。
そのヘイロンは別のダミー会社を使って招慰難民地区から人を集めていた。それに集まった者たちはダミー会社所有の船に乗って大陸へ派遣されている。そこから何処へ連れて行かれたのかは、まだ調べが付いていない。
ヘイロンの構成員ではないのに、その船に出入りするタケイという男がいた。リベラ社の技術員であるこの男を調べると、ヘイロンに対して賭博で作った多額の借金を抱えていることが判る。
そのタケイは、何かしらの罪を犯していたらしい。自首した犯罪者の、警察での待遇を調べていた履歴を、ネットから拾い出している。
そんな矢先、タケイはヘイロン構成員のラオに殺害された。
このことから、タケイはヘイロンに脅され借金の形代わりに何かしらの手伝いをさせられ、そのことで良心が痛み、警察に出頭しようと悩んでいたところで口封じされたと推測される。
そうこうしているうちに、警察はホサノという男の事を調べ始めた。タケイが殺害される半月ほど前からつきまとっていた、依頼主や調査対象を恐喝するような、探偵とは名ばかりのチンピラである。
ホサノが何のネタでタケイにつきまとっていたかは九課でも調べきれなかったが、警察の目がヘイロンから逸れたのは申し分なかった。だがすぐにそのホサノがラオに殺害される。タケイの殺害現場を目撃していて、無謀にもそれをネタに強請ろうとしたというのが、後に逮捕されたラオの証言である。
さすがにヘイロンの方もまずいと思ったのか、トカゲの尻尾として、ラオへ一騒動起こして警察につかまるように指令を下す。その一騒動というのがやっかいで、暴れ回りながら繁華街でロケットランチャーを打ちまくるというものだった。
九課としても、警察の目をヘイロンから反らすという目的は同意すべきものだったのでこれに乗り、事を起こす前にラオを確保して押しつけたのである。
「勘弁してくれ」
資料を読み終えたトグサがようやく絞り出した言葉は、たったそれだけだった。
棒になった足を引きずりながら捜査を行っていたあの時間は、いったい何だったのか。恐らく、こういった事が過去何度も行われていただろう。それを思うと空しさがトグサの気力を奪っていく。
バトーとしてもトグサの気持ちはよくわかる。同じ公安であるにも関わらず、別の課が九課を出し抜こうとした例は枚挙に遑(いとま)がない。ただ、勝ち星数でいうと九課に軍配が上がるので、引きずるような敗北感を味わってはいないが。
トグサにすれば、同じ国家公務員である仲間から一方的に裏切られた感が大きい。それもこれから入る部署にやられたとあっては、良い感情になるはずはない。
だが、トグサはもう九課の人間なのだ。前の職場の事は切り離してもらわなくてはならない。
トグサの心証など知ったことかという風の、読んだかというバトーの問いかけに、無言でトグサが頷いた。トグサはトグサで、頭の切り替えが必要だと知っていたからである。
今度は電通を使い、バトーは言葉を続ける。
『ヘイロンはタケイを脅してゴーストダビング装置を操作させていた。もしかしたら、作成から携わらせていたかもしれん。中国に送られた人間を船内でその装置にかけ、本体は中国で降ろし処分。コピーは日本に持ち帰ってAVを作成、資金源にしていたってところだろう。お前が第六再開発地区で見つけたアンドロイドのスクラップは、コピーの抜け殻だ。俺たちがやるのは、それの続きだ』
アンドロイドのスクラップという単語に、トグサは顔を上げた。初めてバトーと遭遇した場所で見つけた、アレの事だと察したのだ。
「関係、あったのか?」
「鑑定結果はそう出た」
「そしたら……」
トグサはプラグあわててベッドを降りると、備え付けの小さなクロゼットから取り出した物をバトーに差し出す。
「あれにくっついていた。後から自分で解析しようと思って、そのままになってたんだ」
バトーはトグサの手の平に乗せられたハンカチを用心深く開く。
そこには、小さなビニール袋に包まれた、五ミリ四方の黒い欠片が鎮座していた。雌型アンドロイドの髪の毛に絡まっていた、メディアチップである。
それをつまみ上げたバトーは、大きな嘆息を漏らした。
「大したヤツだよ、お前は」
「頼めるか?」
「ああ、鑑識に回しておく」
ハンカチごと受け取ったバトーは、それを丁寧に畳むと上着の内ポケットに仕舞う。
その様子を見届けたトグサは、すでにケーブルを収納したファイルボードもバトーへ返した。そして細く息を吐き出すと、接続物が無くなった首筋を撫でる。
その動きの緩慢さを、バトーは見咎めた。
「何だ、まだ怒っているのか? まあ、当然ちゃあ当然だが……」
「怒っちゃいないさ」
静かにトグサは首を横に振る。
「大変なところに飛び込んだなって、思っただけだよ」
ただ一つ残されたサイドテーブルのリンゴを横目に、トグサは再び軽く息を吐いた。