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さよならの準備

 やわらなか熱が離れていく気配に、トグサはうっそりと枕から顔を上げた。先ほどまで横にいた熱源は、その体躯には不似合いな手狭なキッチンへと消えていく。
 トグサがバトーとともに夜を過ごすのは、久しぶりのことであった。
 素子が失踪して二ヶ月。ピンクの花びらを散らせていた木はすっかり緑へ装いを変え、今は移り気という二つ名を与えられた花が咲き誇る季節となっている。
 その間、バトーは誰も──荒巻でさえも──手が付けられないほど荒れていた。トグサがマトリに襲われ負傷した記録を見た時に勝るとも劣らないほどだ、とはボーマの弁である。
 そのバトーが落ち着き始めたのが、およそ十日前からであった。完全に沈静化したのではない。変わらず燃え続ける焦燥感を奥底に押し込めているだけだと言うことを、トグサは見抜いていた。捜査に参加するようになっても一人での行動を望み、突如ふらりと居なくなることもある。
 だが、ウチコマのことで赤服となにやら冷静に話し込んでいるところが見られるようになっただけ、ずいぶんと落ち着いたと言うべきだろう。
「ダンナ?」
「なんだ、起きたのか?」
 トグサが声をかけると、ミネラルウォーターを飲みながらバトーが戻ってきた。
「俺も」
「へえへえ」
 差し出されたボトルを、トグサは受け取らなかった。ベッドの縁に腰掛けたバトーにすり寄り、首に腕を絡めて唇を重ねる。
 僅かに残る水分をむさぼるように、トグサはバトーの口腔を蹂躙した。そんなトグサを、バトーは力強く抱き寄せる。
「どうした、えらく積極的じゃねぇか」
「そういうわけじゃないけど」
 バトーは水を含むと、それをトグサに口移す。なすがままのトグサはそれを飲み干し、頭をバトーの胸に預けた。
「なあ、ダンナ」
「何だ」
「昨日、課長に呼ばれてさ」
「──」
「九課のリーダーになれって、言われた」
「──そうか」
 むずかるように頭をこすりつけるトグサを、バトーは抱えなおす。
「で、やるのか、やらねぇのか」
「引き受けようかなって、思ってる」
「そうか」
 やっぱり、と納得した。しかし、ほんの僅かな驚愕をトグサは噛みしめる。地位に執着する男ではないから、後輩が上司になったとしても、何がどうなることもない。だが、トグサは少しだけ期待していたのだ。止めておけ、という言葉を。隣に居ろ、という望みを。
「ダンナ、俺……」
「もう、止めておけよ、それ」
 バトーはトグサを上向かせると、軽く唇を重ねた。
「トップに立つんだったら、『ダンナ』なんて、もう止めておけ。新人に示しがつかないだろ」
 トグサは視線を、バトーのそれにからみつけた。いつもトグサ以上に豊かな表情を見せる義眼は、何も写してはいない。
 たっぷりと時間を消費してから、トグサはうなずいた。
「──そう、だな。うん、気をつけるよ」
「じゃあ、もう一戦いくか。夜明けまでは、まだたっぷりと時間があることだしな」
 尋常でないほど普通にこぼれた軽口に、トグサは小さく笑った。
 バトーは、時間が必要だという。
 それが自分と同じだったことに、ひどく安心感をおぼえたからだ。
 トグサは、ただそれだけが、うれしかった。
― 了 ―
 
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