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BとTのCP30題

09 QRSプラグ

 不意に、意識が浮上する。
 ぼんやりと覚醒の感覚に身をゆだねていると、ほどなく視覚が機能し始めた。
 視野に展開される、見慣れぬ電子表示と自宅とは違う天井にわき上がる疑問を、半瞬の後にトグサはぬぐい去る。
「今……何時だ?」
 その声に応えたかのごとく、視野の中央にテレビ画面が広がる。その反応にトグサは驚いたが、先ほどと同じ時間で気持ちを静めた。
「正午過ぎか……」
 軽く息を吐き堅めのベッドに体を預けると、テレビ画面の角に表示されている時刻を確認してそのウィンドウを閉じる。
 横になっていても感じる軽いめまいとけだるさは、いぎたなく十五時間も眠ってしまった事が原因ではない。
 事の起こりは四日前に遡る。
 大きな怪我をすることなく訓練は無事に終了したのだが、家族への連絡を禁止され、まっすぐこの電脳施術病院へ連れてこられたのである。そして連行者であるバトーから、うなじのQRSプラグと電脳の強化手術を強要されたのだ。
 トグサが使用しているものはごくごく一般的なものではあるが、性能は中の上というところである。不備は生じていないし、今までの捜査活動に支障が出たことはない。
 そう告げると、バトーは「悪くはないがな」と、引っかかる物言いで軽く肩をすくませた。
「六甲山崩すなら、オモチャのショベルカーより、BWE使ってどかんと処理するのが手っ取り早いってのは、判るな?」
 トグサは聞き慣れぬ単語を検索にかける。すぐに答えは見つかった。BWEとは、バケット・ホイール・エクスカベーターと呼ばれる露天採掘用の土木機械だ。世界最大の車で、全長が200メートルを超えるものも少なくないらしい。
「六甲山を崩すのに適するかどうかは置いておくけど、山を崩すならオモチャよりBWEの方が良いに決まってるじゃないか。それが……」
 そこで言葉を切ったトグサは、バトーの義眼を見返した。バトーの言う六甲山が『情報の山』、土木機械が情報を処理する能力を比較する喩えであるならば……。
「──俺、採用されたわけ?」
「そう言うことらしいな」
 コミカルに口の片端を引き上げたバトーに押し出される。
「お前の家族には上手く言っておいてやるから、安心して脳ミソいじられてこい」
 そんな気分を萎えさせるはなむけを背に、丸一日かけた手術を受け、拒否反応の有無を見るためにさらに一日使い、三日目となる昨日は必要と言われるソフトをインストールし、その使用方法のレクチャーを受けた。そして、今に至る。
 めまいも疲労感も、この強行軍に参った心身の悲鳴なのだ。
 その声を理由に、トグサはもう一度眠りに身を委ねようかとも思ったが、なんとかそれを振り切って上半身を起こす。
 手術を理由に絶対安静、というわけではない。むしろ、早く慣れるために体を動かした方がいいと、施術の翌日にはそう医師から言われている。だが、体力が相当削られているため、体を動かすのが億劫なのだ。
 のろのろとベッドの縁に腰掛けたトグサは、かすかな違和感に首の後ろを軽く撫でる。
 指先から伝わる感触は以前と変わらぬモノだが、何かが違う。
 だがそのうち違和感は薄れ、体の一部として馴染んでしまうのだろう。
「後は俺が、九課に馴染むだけ、か」
 ベッドを降りかけたグサは、サイドテーブルに置かれたメモとビニール袋を見つけた。どうやら午前中、バトーの説明を受けた家族が見舞いに来てくれていたらしい。
 袋にはリンゴと果物ナイフが収まっている。メモの方は、トグサが警察を辞めて警備会社へ急な転職を決めた途端の、予告無しの電脳手術に対する少しの苦言と、文面からあふれそうな体を気遣ういたわり。それと、ハヤシから電話があったことが走り書きされていた。
 
 個室を出たトグサは、このフロアを担当するナースステーションへ向かう。その脇に公衆電話が設置してあると聞いていたからである。
 必要なソフトのインストールを終えたトグサだったが、ネットへの接続は禁止されていたために、訓練期間中から引き続き有線電話を使用せざるをえないのだ。
 無人の公衆電話スペースに体を滑り込ませたトグサは、スタンドアロンとなった自身の電脳からハヤシの電話番号を引き出し、その番号をトレースする。
 三コール目の途中で応答があった。いぶかしげに問うハヤシへ名前を告げると、その声音は一気に転調した。
「なんだ、トグサかぁ。誰からだと思ったぞ」
「すまん、しばらく電脳使えなくてな」
「それはオクサンから聞いたよ。電脳をグレードアップしなくちゃならないような、ハイグレードな警備会社に転職だなんてうらやましいよ。給料は二倍か? 三倍か? 上手いことやりやがったなぁ」
「世話になった人から、人手が無いからと誘われたんだよ。一応入社テストがあるから、言えなかったんだ」
「落ちたらかっこ悪いもんな」
 作り話をあっさり信じたハヤシに、トグサは少しばかり胸を痛めた。本庁で顔を合わせる可能性もあるため公安九課への異動だと言っても良かったのだが、盗聴の可能性を否定できないこの電話で説明するわけにもいかず、今のところはそれで納得してもらうことにしたのだ。
 そのうち、折を見て話そうと心に誓ったトグサは、ここ一月の近況報告を交換する。
 その締めくくりに、ハヤシは「捜査中だからあんまり詳しいことは言えないんだが」と前置きして、最後の言葉をつないだ。
「感染者を多重人格にするウイルスが見つかったんだ。錯乱した感染者がビルの屋上から転落事故を起こした事例もあるから、院内感染には気をつけろよ」
 多分に冗談を含ませた忠告に笑って応えたトグサは、ゆっくりと受話器を置いた。
■ ■ ■

 トグサが病室へ戻ると、バトーが待ちかまえていた。
 電話をかけていたというトグサの報告に「見た」頷くと、バトーはファイルボードをトグサに差し出した。
「前は詳しく見せられなかった待遇やらなんやらだ。目を通して承諾のサインをくれ」
 頷いたトグサはベッドに腰掛けると、うなじに指を滑らせる。
 ほんの僅かだけ手間取った後、プラグの穴を保護するカバーを外すと、ファイルボードから引き出したコードの端を首筋に接続した。
 未知のデバイスが接続されたという警告を解除して、ファイルボードから情報をダウンロードする。
 読み込みが終わったものから展開させ、以前よりも詳細な内容を確認していく。
 その中の項目の一つに、トグサの視線が捕らわれた。
「なあ。殉職時の取り扱いなんだけど」
 トグサが無意識にボードへ落ちていた視線を上げると、断りもなくリンゴを丸かじりしていたバトーの視線と、唐突にぶつかる。
 バトーの目は義眼だ。だから、本当に義眼が向いている方を見ているかどうかは判らない。だが、トグサは視線がぶつかったと確信した。
 視線がぶつかるということは、その元である目を捉えているということだ。
 この目を見たくて、トグサはバトーを追いかけた。追いかけていたら棚からぼた餅が落ちてきて、今では追いかけた相手と同じ位置に立てるというところまで来ている。
 故に、視線がかち合うのは別に珍しいことでもない。だのに、トグサの心臓は停止寸前になるほど一瞬だけ縮み上がり、言葉を失った。
 そこへかけられたバトーの訝しげな問いかけに、トグサは我を取り戻す。
「ええと、なんだ。俺の電脳が国家の持ち物だってのは理解してるから、俺の死体から回収されるのは理解できる」
 今回の手術はすべて国費で賄われている。マイクロマシンの追加も行われていることから、それが定着した脳ごと国へ返す事になるのは異存がない。トグサが気になっているのは別のことだった。
「その後、俺の頭は空っぽのまで家族に戻されるのか?」
「ああ、その事か。それならC-31の書類でダミー脳のオプションを付けておけ。ブタの脳みそ入れて返却してくれるから」
 低く笑うバトーに、トグサはげんなりとした声を返す。
「──ブタかよ」
「贅沢言うな。移植用の肝臓は作れても、脳みそは無理なんだから。人工臓器よりは人の脳に近いから、ばれにくいらしいぞ」
「でもなぁ」
「あきらめろ。空っぽで返されるよりはマシだろう? なんなら、頭を潰してもらうか? それならブタの脳みそを入れなくても、家族にはばれないぞ」
 バトーの言葉に、トグサは不承不承ながらも納得したと小さく頷く。破裂して中身がない頭より、ダミーでも中身がつまった小綺麗な頭なら、トグサの死にショックを受ける家族に追い打ちをかけることはないはずだった。
 早速、『C-31 殉職時における遺体の処理方法における確認書』の内容を確認すると、トグサはオプションに印を入れて電紋パターンを用いたサインを書き入れる。
 その様子を眺めていたバトーは、果実を食べ尽くし芯だけとなったリンゴをゴミ箱へ投げ捨てると、心の底から感心したような声を上げた。
「家族が居ると大変だなぁ。そんなところに気をまわさなくちゃいけないなんてよ」
「まあ、大変は大変だけれど、それ以上に幸せだから」
「そりゃ、ごちそうさん」
 はにかんだ顔にひょいと肩をすくめてみせたバトーに、今度はトグサが質問を投げかけた。
「教官は? からっぽのまま返されるのか?」
「俺のは、国が適当に処分するだろうよ」
「処分って……葬式とか、墓とかは?」
「んなモン、ねぇよ」
「どうして?」
「どうしてって……必要ないからさ。俺を欲しがったり未練があったりするヤツは居ない。だから葬式も墓もない」
 眉間にしわを寄せるトグサを見下ろすバトーに、なんだかいたたまれない気持ちがわき上がり、あわてて言葉を見繕った。
「──いや、墓はあるな。どこかに無縁仏あたりが。まあ、ほぼ完全義体だから、入れるモノは無いだろうが」
 言い繕っても、トグサの顔に深く刻まれたしわが無くなる様子はない。
「いいんだよ、俺はそれで納得している。人のことより自分の心配をしろ。まずお前は、九課で綺麗な死体が残る死に方ができるかどうかが、問題なんだから」
 密かに溜息を吐き出したバトーは、二つめのリンゴに手を伸ばした。
「早くそれを読んじまえ。仕事の話もあるんだから」
 仕事、という単語にトグサは極端に反応した。瞬く間に困惑の仮面を脱ぎ捨てて、力ある視線でバトーを見上げる。
「明日からか?」
「馬鹿言うな。もう二三日、ここでリハビリするんだよ。本番はそれ以後、その前のちょっとした予習だ。その前に、まずはその書類にサインしてもらわないとな」
 頷いたトグサがすべての書類にサインをし終えるには、さらに一時間を要さねばならなかった。

― 続 ―
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