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BとTのCP30題

06 所帯持ち

 報告書を書き終えたバトーは、個室として割り当てられている教官室を抜け出した。
 あと三時間も経たなければ日付が変わらないというまだ夜も早い時間であるが、この施設の活動時間はすでに終了している。明朝早くからの予定を鑑みて多くの者が個室にこもっているためか、明かりを落とされた廊下に人影はない。
 つっかける程度に履いた半長靴がたてる騒がしい音をはんば楽しむように、足取り軽く最後の角を曲がる。
 その奥に、バトーが目指していたベンダールームがあった。
 飲み物を始め、生体用・サイボーグ用の簡易食や日用品、雑誌などの自動販売機が十以上もそろえられている。そしてこの施設に三カ所だけ設けられている、喫煙可能エリアの一つでもあった。
 この場所は、最低でも一日に四回はバトーが訪れる場所である。比較的、喫煙には寛容な施設なのだが、火気厳禁の場所が多いため喫煙場所が限定されていた。喫煙本数が多めであるバトーがそれを味わうには、個室から一番近いここへ足繁く通わざるをえないのである。
 ドアをくぐり早速とばかりにくわえた煙草へ火を点けようとして、バトーは先客に気がついた。
 ベンダールームの最奥、さらに小さく仕切られたテレホンエリアの小窓から、見慣れた栗色の頭が見える。
 公安九課メンバー候補生のトグサだ。ただし、高確率で採用が確定しているため、候補生とは名ばかりであるが。
 九課ですぐに使い物になるようにトグサをしごけと派遣された教官というのが、ここでのバトーの立ち位置だった。
 ほかの候補生兼訓練生も居るので特別扱いはしていない。だが義体化率が最低であるがゆえ、みそっかすな成績を残すトグサには、いつもどおりに追加の課題を毎回与えた。これがどうも、周りから見れば特別扱いに見えるらしい。暇つぶしに電脳から様子をのぞき見しているイシカワからは「いいかわいがりっぷりだ」とからかわれ、痛くもない腹をさぐる勇気もない訓練生たちの間では妙な噂が立てられている。バトーにすればどうでも良いことなので外野は放っておくつもりだし、トグサへの対応を変えるつもりもない。
 そのためトグサは毎日ふらふらになるまでしごかれたが、手を抜くことはしなかったし、毎夜の家族への電話をも手を抜かなかった。
 この施設で電脳通信の使用が制限されているのは、通信先を踏み台にして枝をつけられないための用心である。代わりに、今ではほとんど見かけない有線の公衆電話が用意されていた。できるだけ家族へ電話したいと訓練初日に相談を持ちかけて来たトグサに、この電話の存在を教えたのはバトーである。以来、ほぼ毎夜、トグサはこれを利用していた。
 半月前と比べ頬が削げた代わりに精悍さが増した容貌に、おだやかな笑みを浮かべるトグサの横顔をぼんやり眺めながら、バトーは煙草に火を点けた。
 バトーが知っているのは、辞めてしまえと怒鳴られても、向こう意気強く睨(ね)め上げる、負けん気を貼り付けた表情である。
 あんな顔もできるのかと少々面食らったことに気づくまで、一口目の煙を吐き出すまでの時間はかからなかった。ばかばかしい、とばかばかしさの原因もわからず声に出さず毒づくと、バトーはいつものコーヒーを購入し、いつものように灰皿の前に腰を下ろす。
 奇しくもそこは、電話ボックスを正面に見据える位置だった。意図せずとも、視線はそちらを向く。仕方ないことだ、こちらがどうこうしてやる必要は無いと、バトーは決めた。
 グランデサイズのカップを空け、三本目の煙草に火を点けた頃、トグサはやっと電話を切った。バトーの存在に気がつき、ぺこりと頭を下げる。ショートサイズのコーヒーを購入すると、バトーの斜め前の、向かい合わせの長いすへ腰を下ろした。
「毎晩よく続くな」
 バトーが声をかけると、トグサは僅かに目を見開いた。正面に腰掛けておいて、声をかけられるとは想定していなかったらしい。短く数度、瞬きを繰り返すと、トグサは口元をほころばせた。
「かけようと気負ってるつもりはなかったんだけれど、なぜか毎日かけちゃって」
 毎日怒鳴りつけるバトーに恨みは無いのか普通に知り合いと話すように、トグサは少しだけうつむいて首の後ろを撫でる。
「刑事やっているときより、生活時間が安定しているからかな。前は一週間も声を聞かなかったこともあったんだけど」
 面はゆそうに、しかし臆面もなく家族への愛情を表出させる。そんなトグサをバトーは傾注した。そこまでの想いを持ちながらなぜ九課を志望するのか、理解できなかったからだ。
 「お前さ」と口に出してから、バトーは言葉をつまらせた。聞く必要のないことだと気づいたからである。
 しかし、出してしまった言葉を引っ込めることはできず、片方の口の端を引き上げることで、なんとか舌端をゆがめた。
「前から気になってたんだが、どうして義体化しないんだ? 『みそっかす』が『おみそ』ぐらいにはなれると思うぞ。まさか、電脳化は良くて義体化はイヤってことはないよな?」
「そんなことはないさ。必要に迫られれば義体化するつもりではいるんだ。今まで運がよくて、その機会が無かっただけで。健康体である限り親からもらった体に傷を付けたくないってのも、多少はあるけれど」
「お前、サイボーグより頭堅いのな」
 おちゃらかすバトーの言葉に、はにかんだ笑みをトグサは返す。
「できれば、もう一人か二人、家族が欲しいんだ。その子を抱きしめるとき、できるだけ生身の体でぬくもりを感じたいってのが、一番大きいかな」
 飲み干した紙コップをもてあそびながら少し自嘲を滲ませ、トグサは言葉を継いだ。
「九課を希望しておいて、自分でも何だかなぁと思うけれどさ」
「──ま、いいんじゃねぇの?」
 僅かな間の後にバトーはそう言った。
 立ち上がりざま、驚いたように顔を上げたトグサの頭を乱暴にかき回す。
「やることやってりゃ、誰も文句は言わねぇさ」
 煙草の火をもみ消したバトーは、トグサを残してベンダールームを後にした。
「明日も早いから、とっとと寝ろよ。へっぽこにできることは、まずそこからだな」
■ ■ ■
「──ま、いいんじゃねぇの?」
 甘い、と一刀両断されると予想していた。だのに、思いもよらなかった言葉を返されたトグサは反射的に顔を上げる。それを押しとどめるように、大きな手でバトーがトグサの頭を鷲掴み、振り回すように撫で回した。
 そして「早く寝ろ」と言い置いて、バトーはベンダールームを出て行く。
 半分あっけにとられながら見送ることしかできなかったトグサは、バトーの背中が見えなくなると、手元を見下ろした。
 手持ちぶさたに手の中で転がしていた紙コップの表書きには、生体専用のマークが大きく表示されている。
 このマークが記された飲食物を口にできるのはいつまでだろうと、ぼんやり思った。
 ずっとこのままではいられないだろうことを、トグサは知っている。刑事をやっていたおよそ十年の間、生身を機械に置き換えた者を何人も見てきた。コンビを組んでいたハヤシも、数年で義体化率が二割から四割に跳ね上がっている。何度も重傷を負ってもトグサが生身のままでいられたのは、奇跡並みの運の良さがあったのだろう。
 だが九課に籍を置くようになれば、その奇跡も打ち止めになるはずである。生存率を高めるために義体化することが、家族を悲しませないための賢い選択だ。それをあえて、トグサは選ばなかった。これも家族を思えばこそである。
 トグサにも同じく生身の妻にも、義体化に嫌悪感はなかった。だがそれは、トグサが真に求めるものでもない。理由はバトーに告げたこと以上も以下もなく、それが正直なところなのである。
 トグサは紙コップを握りつぶす。
 指先で感じる、インクの凹凸で少しざらついた表面。
 加わる力に対する、手の窪への抵抗。
 そして、耐えきれずにベコリとゆがむ振動と感触。
 義体化した手のひらは、この感覚をどのように脳へ伝えるのだろう。
 ものによっては、たとえば皮膚の触覚素子だと、生体皮膚の何倍もの情報を脳へ伝達できるものがある。雪の結晶並みに薄い、硬貨大のガラスを壊すことなくつまめる、繊細な力加減を調節できる人工筋肉もある。
 そんな義体からの電気情報を受け取った脳みそは、どのように『感じる』のだろう。
 今と全く同じ感覚を伝えてくれるのか。そして今と同じように受け取れるのだろうか。
 義体を手に入れたときどう感じたのだろうかと、トグサはバトーを思った。そして、その時の感覚を体験してみたくなって、想像の中で自身の腕を義体化する。
 握って、開いて。また握って。もう一度開いた手を一心に見る。
「無理、だよなぁ」
 全く同じ刺激を受けても、個体が違えば受け取る刺激の印象は、大なり小なり違ってくる。同じ花を目の前にしても、色相や彩度、においや手触りが全く一緒ということはない。
 トグサの感覚はトグサ一人のものでしかなく、バトーのそれはバトーのものである。トグサがバトーの感覚を全く同じに感じることはできない。
 なによりもトグサには、義体化の経験がなかった。感じたことがないものを想像で経験しようなど、滑稽以外の何物でもない。
「──ま、知らなくていいこともあるさ」
 奥底に現れた小さなささくれを覆い隠すように、トグサは無意識のまま、ぽつりと独りごちた。

― 続 ―
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