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BとTのCP30題

05 黄色いスポーツカー

 モニタから顔を上げたトグサは、目頭をもみほぐしながら軽く息を吐いた。
「あぁ、もう、全然終わらねぇ」
 椅子の背もたれを利用して大きく伸びをする。ぼきぼきと体内で響く音に顔をしかめつつ再びモニタに視線を戻すが、作業を再開するためではない。作業をしているつもりになって休憩するためだった。
「正直、デスクワークは苦手なんだよなぁ」
 あの時。
 港湾地区で九課のメンバーと出会い、強制的に帰されたトグサを本庁で待っていたモノがあった。
 第六再開発地区にて他殺体で見つかったホサノと、ホサノが脅迫の果てに殺害したとされる会社員のタケイ、この二人を手にかけた容疑者逮捕の報である。
 たった数時間のうちに、それも自分が不在の間での唐突な展開に目を白黒させたトグサだったが、誰が逮捕したのかを聞かされると、「ああ、なるほど」と、すんなり納得した。
 逮捕したのは、九課だったのだ。
 被疑者は港湾地区で出会った、違法義体を所持していたあの男である。
 九課が緊急逮捕してみたら、べらべらと聞きもしないことを白状したのらしい。
 それがホサノとタケイの殺害自供だったため、先行して本庁に報告が届き、トグサに遅れること一時間後、容疑者のラオは護送されて来たのだ。
 ラオの舌は、油を差した新品の車輪のようによく動いた。従順とはいかなかったが、それでも調書の作成に困ることはなかった。
 通常、違法改造義体所持で捕まった者は、二種類に分類される。電脳錠で自由を奪われても威勢を無くさず反抗する者と、被っていた虎の皮を奪われた小動物のように畏縮する者だ。
 ラオは、そのどちらでもなかった。威勢はいいが、自分に不利なことをいともたやすく自白したのだ。中華系マフィア『ヘイロン』に属するチンピラであるバックグラウンドを考えると、前者であるはずなのに。
 兄貴分の愛人は入院した折、医療器具メーカー『リベラ』社製の器具の誤作動により重体に陥った。その報復措置として、たまたま目についたリベラ社社員のタケイをラオは殺害したのだ。それを偶然目撃したホサノに強請られたため、第六再開発地区に呼び出して殺すに至ったということである。
 当初、警察はタケイを殺したのは恫喝していたホサノだと思って捜査を進めていた。だが、そのホサノの死体が見つかったため、第三者の存在が明らかとなった。その正体を掴めないでいたのだが、ひょんなことからラオが捕まり、自白したというのが、本件の流れである。
 タケイの殺害に至る短絡的な行動を見る限り、ラオは鼻息が荒いタイプだ。そのため、トグサは長期戦覚悟で取り調べに挑んだのだが、結果は前述の通りである。
 取り調べはスムーズに進み、自供の裏付けも大方取れたため、送検に必要な書類を急ピッチで作っているのだ。
 この書類を作りながら、トグサは釈然としないものを内に抱えていた。ラオがあっさり喋りすぎるような気がしてならないのだ。しかし、供述には整合性があり、不審な点は見つからない。目撃者の素性やその証言にも、おかしなところは見あたらなかった。あえて挙げるなら、書類の作成に苦労するほど、二人を殺した証拠が多すぎることぐらいである。トグサの経験からすると、いつもの倍はあるように思えた。
「やっぱり、帰すんじゃなかったかな」
 ハヤシもこの件の担当だが、喧嘩中だった恋人とまだ仲直りができていないというので、期限までには書類を作り終えることができるだろうと判断して、一時間ほど前に帰したのである。
 それを少々後悔しながら席を立つ。部屋の隅に据え付けてあるコーヒーメーカーの前に立つと、あからさまに眉をひそめた。見るからに煮詰まっていそうな黒い液体がトグサを見上げている。
「何時間前のだよ、これ」
 毒づいても、新たにコーヒーを作り直す気も起きない。底に溜まった最後の一杯をカップへ注ぎ、保温の電源を切る。そして砂糖とクリームを山ほど入れて味をごまかし、席へ戻った。
 液体を一口含むと、顔をしかめる。それを何とか飲み下すと、残りを一気にあおった。
「──マズ」
 眉間に深いしわを寄せたままカップを机の端へ押しやると、トグサは再び視線をモニタに戻す。手持ちぶさたにマウスを握るが、作業を再開するつもりはまだ無かった。
 パソコンのブラウザを立ち上げ、ニュースサイトや天気予報サイトを見るともなしに、次々開いていく。
 別に見たくて表示させた訳ではない。考え事をしている時と何も考えたくない時の、癖のようなものだった。
「仕事、するか」
 ようやく観念して深く腰掛けなおした時に電通が入った。庁内用のオペレーターからである。
「トグサ巡査長、一課長室までお出でください」
「了解」
 応えて、トグサは首をひねる。
「課長が何の用なんだ?」
 直属の上司からの呼び出しの理由が、トグサには一向に皆目つかない。
 しかし、行くと応えたからには、いつまでも部屋でくすぶっているわけにはいかなかった。
 
 聞き慣れぬ声に許しを得て一課長室へ足を踏み入れたトグサを待ち受けていたのは、思いもよらない人物だった。
「あんたは……」
「あら、憶えていてくれたのね」
 港湾地区でトグサに本庁へ帰れと命令を下した九課の女が、課長の執務デスクに寄りかかるようにして立っている。
 そして女のそばの壁際からは、白髪の男が義眼をトグサに向けていた。その視線に絡め取られたかのように、トグサは呆然と立ちすくむ。
 だがそれは、長く続くことはなかった。
「突っ立ってないで、座ったら」
「あ、はい」
 先日と違う柔らかな物腰の声音に促されるまま、トグサはソファに腰を下ろす。そこでやっと、部屋の主の不在に気がついた。
「あの、一課長はどちらに?」
「席を外してもらってるわ。あなたに用があるのは私だから」
「あなたが、俺に?」
「そう。聞きたいことがあるのよ」
 女は義眼の男からファイルボードを受け取ると、それをトグサに差し出す。
 言われるままにそのファイルを展開させたトグサは、立ったままの女を見上げた。
「これは?」
「いつもは先に見せたりしないのだけれど、あなたは今までと違うから」
 電脳へのコピー不可の暗号を埋め込まれた電子媒体にはぎっしりと、給料、待遇、特権に始まり、死亡時における遺体の処理方法までが事細かく記されている。
 その意味を計りかねているトグサに言い含めるように、女はきっぱりと言い放った。
「スカウトに来たのよ」
「俺を九課に、ですか?」
「そうよ」
「俺は一介の刑事です。別の人間と間違えているんじゃ?」
 質問に、女はかぶりを振る。
「あなたでいいのよ」
「俺より優秀な人間はもっとほかにいるし……」
「あなたがいいのよ。それとも、条件、悪かったかしら? まあ、刑事よりも命を張る機会は増えることになるでしょうけど、それを補えるものを提示できているはずよ」
「いや、そういうことではなくて……」
『トカゲの尻尾で満足できるのなら、それでもいいわ』
 電通でそう言い放つと、腰を浮かしかけたトグサから、女はボードを取り上げた。
「近いうちにまた来るわ。それまでに返事を考えておいてちょうだい。判っていると思うけど、他言無用よ。もちろん、家族にも」
 女は義眼の男を引き連れて、部屋を出て行った。何とも言いようのない表情を貼り付けたトグサを、その場に残して。
■ ■ ■
 バトーは待ちきれなかったとばかりにエレベーターから地下駐車場へ出た途端、澄んだ金属音を響かせジッポライターを点す。
 嫌煙家だったのか出入り口に居た守衛の警官が顔をあからさまにゆがめるも、バトーは意に介さない。先を歩いていた素子は見ずともその様を正確に把握していて、苦笑混じりに声をかけた。
「不満そうね」
「そうか?」
「エレベーターを降りる前からタバコをくわえていたじゃない。いつもなら車に乗るまでは我慢できたでしょ?」
「そうだったかな」
 興味ないとばかりに、吸い付けざまに一息で半分の葉を灰にしたバトーは、それに見合う量の紫煙をはき出す。そして落とした灰を回収する清掃ロボットに、残る燃えさしを提供した。
「ま、どこもかしこも禁煙じゃあ、知らないうちにストレスでも溜まったんだろうさ」
「そのことを言っているんじゃないのよ」
「じゃあ、何だよ」
 いぶかしむバトーに、素子は言外の意味をたっぷり含ませた笑みをこぼした。
「あなたのパピーのことよ」
「はぁ? 何を言ってるんだ?」
 どんな意味が含まれているのか容易に悟ったバトーはついとそっぽを向き、二本目のタバコを取り出した。しかし今度は無煙のまま、唇の先でタバコをもてあそぶ。
「俺は犬なんか飼っちゃいねえよ」
「じゃあ、問題は無い訳ね」
 バトーはすぐに返事をしなかった。素子の数歩後ろを歩みながら、くわえたままのタバコを揺らす。
「無いんじゃねぇの」
 区画表示代わりの柱を何本か折れて愛車が見えてきたところで、バトーは上着のポケットから愛車の鍵を取り出すと、くわえていたタバコを箱へ戻した。
「あいつさ、来ないんじゃないか?」
「あら、どうして?」
「どうしてって。どう考えたって、警官に務まる仕事じゃないだろ。九課の全貌は知らなくても、耳にしているネタから自分には無理だってことぐらい想像つくだろ、普通」
「試してみないと判らないわよ?」
 予想外の素子の肩の入れように、バトーは指先で回していた鍵を手のひらに握り込んだ。
「試さなくても判るさ。ウチは、義体化した軍属上がりでも、テストをパスしないと選考対象にもならないようなところだ。警官上がりの、それも三十路間近の生身がやっていける場所じゃない。おまけに妻子持ちだ。本人だけでなく、九課全体にとってのデメリットは山ほどあっても、メリットは見あたらないね」
「だから心配だ、と言いたい訳ね」
「心配なんかしちゃいねぇ」
 口をへの字に曲げたバトーは運転席に乗り込むと、助手席のロックを解除する。素子が乗り込むのを待って、ゆっくりと車を発進させた。
「何だって俺が」
 短く息を吸い、バトーは僅かに顔をゆがめる。
「あのネイキーを心配しなくちゃならねぇんだ」
 バトーは自分が全身義体化しているからといって、電脳以外の義体を施していない者をさげすむことは無い。だから、素子の言葉を否定するためとはいえ、彼らを卑下するスラングを使うことに不快を感じているのだ。それを理解していた素子は、そのことについては特に何も言わなかった。
「ラオを追いかけている時、彼のこと気にかけてたじゃない。ちゃんとついてきてるかどうか心配だったんでしょ」
「まさか。後ろをちょろちょろされて迷惑この上なかったぞ。邪魔されそうで冷や冷やモンだったんだ。実際にやられてみろよ。少佐だってそう思うさ」
「そうかしら。必死に後をついてくる子犬みたいでかわいいじゃないの」
「俺はわからんね、そんな感覚」
「なんなら、試しに可愛がってみたら?」
「勘弁してくれ。そんな趣味はねぇよ」
 重たい息を吐き出すバトーは、心底疲れた表情を顔に貼り付ける。素子はそれをおもしろそうに眺め、決めた、と小さく頷いた。
「やっぱりあなたを派遣するわ」
「何にだよ」
「彼が参加する訓練校の講師に」
「参加するって決まった訳じゃないだろ。それに、どうして俺に決まるんだよ。今度はボーマって話じゃなかったか?」
「そうだけど、あなたにする方がおもしろそうだから」
「おい……」
「というのは冗談。彼を入れることを渋っているからこそ、納得するまであなたがしごけばいいわ。自分で育てるんだから、手は抜けないでしょ」
「つぶしちまったら、どうするんだ?」
「自分で無能って証明することになるだけよ」
 ばっさりと言い切られて鼻白んだバトーは、短く息を吐き出した。
「──まあ、いいけどよ。断ってきたらどうするんだよ」
「ささやきが耳鳴りだったってことで、その時はあきらめるわ」
「今のうちにあきらめたほうが、時間を有効に使えると思うんだけどな」
 坂を登り切り表へ出たランチア・ストラトスを公道に乗せたバトーは、何気なしに視線を庁舎へ向け、視角の一部をズームアップする。
 そこに、あの男が居た。
 部署に戻る途中なのか。先ほどとは違う階の廊下からこちらを見下ろしている。
 視線はこちらに向いているが、誰が運転しているかまでは認識できていないはずだ。偶然見かけた珍しい車種に少しの間だけ、見入っているだけなのだろう。
 そんな者を九課に入れて、何をしようとしているのか。バトーには素子の考えがさっぱり判らない。
 おそらく、この先もバトーには判らないだろう。同じ方向を向いていても、もっと遠くを見ているのだから。
(──あの男をフィルターにしたら)
 素子の考えが判るかもしれない、と思い浮かんだ考えを、瞬く間に振り払う。
 そんなわけはあり得ない。九課に入るはずがないのだから。
 ばからしい、と心中で自嘲の笑みを零したバトーは、視線を正面に戻すと、軽くハンドルを握りなおした。
 
 トグサが九課入りを決めたとバトーが聞いたのは、この四日後のことである。
― 続 ―
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