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BとTのCP30題

03 サンドイッチ

「荷物はそれだけか?」
 問いに頷き返したトグサは、小ぶりのボストンバックを後部座席に押し込んで助手席へ乗り込む。久しぶりにもらった休暇は、たったの六時間と短いものだった。
 タケイと言う名の男が殺され、捜査本部が設けられたのは一ヶ月前だった。聞き込みによりタケイが恐喝されていたとの情報を掴み、その相手がホサノというチンピラだということを突き止めたのが二週間前。そしてホサノの居所を見つけ、そいつの他殺体を第六再開発地区で見つけたのが一週間前のことになる。
 だからまだ、事件は片が付いていない。それでもトグサは勤務からの開放感で肩が軽くなったことを喜んでいた。働きづめで疲れていたこともあるが、捜査に行き詰まりを感じており気分転換を必要としていたからだ。トグサが小休止でも喜んだのは、このためである。
「シートベルト締めろよ」
 相棒がドアを閉めるのを待って、ハヤシは十数年乗り回しているという愛車のアクセルをゆっくりと踏み込む。軽自動車は思いのほかなめらかに発進した。
 慣れた手つきでギアを入れ替えながら、ハヤシはちらりとトグサを見やる。
「何日ぶりだ? 家に帰るの」
「十日ぶりかな。帰るって言ってもシャワーを浴びて新しい着替えと取り換えるだけだから、一時間も居なかったけれど。ハヤシはいいよな、家が近所で。ゆっくりできる」
「まぁな。でも何かあった時、休暇中だって一番に招集されるからなぁ」
「それはちょっと考えどころだな」
「郊外に家建てるのも考え物だぞ」
「仕方ないじゃないか。しがない公務員の給料で買える物件となると、ああいった場所になるんだよ」
「パパは大変だな」
「まあな。でも、かわいい娘のためならな」
「あー、はいはい」
 なおざりなハヤシの返事にトグサは少し笑った。そして、もたれるようにシートへ体を預け、後方へ流れる町並みへ視線を移す。
 その目に映っていたのは風景とは全く関係のない、一週間前に遭遇した男の影だ。
 第六再開発地区での聞き込みを終え、合流したハヤシと情報交換をしたのだが、トグサには少々不満が残るものだった。
 主目的である、ホサノの足取りなどに関する情報はそれなりに集まっていた。どうやら同行者が居たことなども掴めている。その代わり、影の男の情報が一切なかったのだ。
 警察などの目が届きにくい場所柄、犯罪の絡んだ取引などが行われることがままあるため、ホサノの件とは関係のないバイヤーや客の情報も『見慣れぬ者』として聞き込んだ情報に自然と含まれてくる。そのどの情報にも、白髪の男が絡んでいなかったのだ。
 情報が得られない理由はいくつか考えられる。あの場所の住人の仲間や支援者などといった顔見知りなのかもしれないし、トグサ達が聞き込みを始めた後に、ここへ現れた可能性もある。
 後ろ暗い職業の人間には見えなかった。
 ならば何故、あそこに居たのだろう。
 トグサは目に映るぼんやりとした姿を、記憶野に残る鮮明な記録へと変える。
 背筋が伸びた、きれいな背中だ。そこに居るだけで周囲の目を引き寄せ、弛んだ空気を引き締めてしまえそうな、そんな後ろ姿である。そのような男があの土地に馴染みがあるとは思えない。
(顔が見えたら、もう少し判断のしようがあったのに)
 トグサは知らず、唇に歯を立てる。
 酸いも甘いも飽きるほど味わった訳ではない。しかし刑事という職業上、普通の人よりは『人』を見分ける目を持っていると自負していた。
 顔とは言わない。目を見ることができたら。せめて、目を合わせられたら──
「あっ、つぅ……!」
 サイドウィンドウにぶつけ鈍い悲鳴をあげた額の端を、トグサはとっさに両手で覆う。運転席では、ハヤシが必死に笑いを噛み殺していた。
「何だ? 何があった?」
「ぼんやりしてるなよ。工事で道路がボコボコなんだから」
 トグサがサイドミラーで後方を見やるとハヤシの言うとおり、一車線を独占して道路工事が行われていた。
 鈍痛が治まる様子のない額をさすりながら、トグサは唇を尖らせる。
「先に言ってくれよ」
「目を開けて眠る癖があるとは知らなかったよ」
「それは俺も初耳だ」
「だろうな」
 ハヤシはそれ以降、笑いが収まったと思ったら再び思い出し笑いで口の端をゆがめるという所作を、トグサを車から降ろすまで繰り返したのだった。
 
 これから半月ぶりに彼女へ会いに行くというハヤシと別れ、トグサはようやく自宅へと帰り着いた。ネクタイを緩めながらリビングへ入ると、テーブルの上にはサンドイッチが一皿乗っている。この妻の特製サンドイッチは、どんなに忙しかろうが体調が悪かろうが、どうしても完食したいと思うほど、トグサは気に入っていた。
 そしてテーブルの横にはすでに中身が詰まった新たなボストンバッグが、ソファの隅には着替えが一揃え置いてあった。今日帰るという連絡を朝方に入れていたので、出かける前に用意していてくれたのだろう。
 いつもの手際の良さに感謝しながらトグサはテレビを点け、サンドイッチにかじり付く。冷蔵庫から牛乳をとりだすとコップに注ぎはせず、直接口を付けて胃に流し入れた。
 妻が見たら子どもの教育に悪いと眉をひそめる行為だったと思い出したが、どうせ飲み干してしまうのだと理由を付けて思い出さなかった事にする。
 かじりかけのサンドイッチを口にくわえてリビングに戻ったトグサは牛乳パックをテーブルに置くと、首に掛かったままのネクタイと上着をソファの背もたれへ投げつけた。
 その上着のポケットからきれいに折りたたまれたハンカチが落ち、そのヒダから小さな黒い粒がこぼれてソファの下へと転がり込む。
「しまった!」
 トグサは慌ててソファをどけて注意深く粒を確保すると、拾ったハンカチに包んでテーブルに乗せる。
 粒は、一週間前に拾ったメディアチップだった。結局調べる暇がなく、ポケットに仕舞ったままになっていたのだ。
 これを調べたら何がわかるのだろうかと、自問する。
 バラバラにされたアンドロイドの、基盤の一部である可能性が一番高い。ホサノを殺害した者の居所がわかるものではないだろう。
 トグサはかじりかけのサンドイッチを持った手を膝の上へ下ろし、無意識にチップを凝視する。そうすればこのまま中身を読みとれるとでも思えたかのように。
「あの男に、つながる可能性は?」
 ぼそりと呟いた疑問へ、首を横に振って自答した。ここで考えてどうする、と。これは捜査でも洞察でもない。妄想を膨らませているだけで、何もしていないのと同じだ。何もせずに手に入れられる手がかりなど、あるわけがない。
 視界の隅で、時刻を確認する。
 本庁へ戻らねばならない刻限まで、五時間を切っていた。
 時間は、あると言えばある。
 ならば、どうやって捜すか。それが問題だ。
 無闇に動き回って貴重な時間を無駄にしたくない。神戸へ行くにしても、往復で一時間以上かかる。手がかりが全くない状態で、三時間強の間に何を手に入れられるのか。
 ある程度ポイントを絞りたい。ならば、どうやって?
 眉間にできたシワをもみほぐそうとした、その時だった。
 トグサの視線が、垂れ流しにしていたテレビ画像へ釘付けとなる。
 昼下がりの主婦向け番組らしい。街頭インタビューの様子が流れている。その背後の人込みに、トグサが求める男が映ったのだ。ほんの一瞬、走り去る後ろ姿だったが、見間違えではない。トグサには自信があった。
 見間違えるはずがないのだ。
「刑事の勘、ってやつか?」
 問うて、苦笑を漏らす。
 画面の右上には、『LIVE』という文字が躍っていた。
 すっと立ち上がり手にしていたサンドイッチを手放すと、脱いだ上着とチップを包んだハンカチを掴んだ。
 ネットを使って中継場所を検索し、周囲の地勢を割り出す。
 目標を定め、駆け出した。
 新浜南部の港湾地区。
 そこに探し求める男が居ると、トグサは確信していた。

― 続 ―
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