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BとTのCP30題

04 義眼

 目覚まし時計のベルのようにがなり立てる鼓動が一段と大きく跳ね上がるのを、トグサははっきりと感じ取った。
(居た!)
 新浜南部の港湾地区へ急行して、そろそろ一時間が経とうとしていた。
 荷物の運搬・管理はオートメーション化しているため、人影はほとんど無い。たまに見かけるのは、倉庫の管理会社とも荷主ともまったく関係のない無宿人だ。
 そういった者たちに聞き込みつつ駆けずりまわって、トグサはやっと探し求める男を見つけたのだが、今回も後ろ姿を見かけるだけで、声をかけるどころかはっきりと顔を確認するに至っていない。そこの路地を駆けていったのをたまたま見つけた──そんな程度である。
 しかし、疲れ切ったトグサの四肢に新たな活力を充満させるほどの威力を、その姿は持っていた。
(アイツだ。あの男!)
 悲鳴をあげる肺と重たい足に鞭打って、トグサは追跡を再開した。数メートルを軽く飛び上がれる脚力を持つサイボーグに追いつけるかどうかは、甚だ疑問ではある。だが、倉庫街は広いが通路は碁盤模様であるため、路上に居るのであればなんとか追跡できるとトグサはふむ。
 その勘が当たったのか、建物の屋根に飛び上がることもあったが、何とか行く手を読み、振り切られずに済んだのだ。
 トグサが追跡できたのは尾行の才能以上に、男の移動速度が緩やかだったことが理由として挙げられる。男は確たる目的地は無いのか、まれに立ち止まり急に方向転換を行っていた。
 その微妙なバランスが崩れたのは、男が倉庫街の深部へ向かう進路を取っていた時だった。例のごとく建物の屋根へ飛び上がった男は、突如として走り出す。トグサは足音を消すことも忘れ必死に追いかけたが、ついに男の姿を見失ってしまった。
「くそっ。勘弁してくれ」
 目に落ちかかる汗を無造作に袖でぬぐいながら、大きく肩を上下させるトグサは空を仰ぎ見た。倉庫内の全自動で動く機械の音。ぎゃあぎゃあと叫ぶカモメの声。そのすき間に漏れ聞こえる微かな足音を探りながら、トグサは男の姿を探し求める。
(あの男は何をしているんだ。──散歩か?)
「違う!」
 自問にトグサは閃いた。男は、何かを追い求めているのだ。
 おそらく仲間がいるのだろう。その仲間と連絡を取り合って対象を追いつめていたから、不規則な軌跡を辿っていたのだ。
 トグサはこの辺の地勢に詳しくはないが、知らないわけでもない。警官としての経験を総動員して、追いつめるにふさわしい場所を模索する。
「こっちだ!」
 鋭く呟いて、トグサは己を信じて駆け出した。
 
「この辺だと思うんだけど……」
 先ほどよりも重油臭い潮の香りが、トグサの疲れた肺をさらに重くする。
 海ぎわの倉庫街の中で最も丈の高い建物が建ち並ぶ地区を、トグサは気配を殺して歩き回っていた。ここなら建物の上に飛び上がって逃げることは難しいし、海に面しているため人数が少なくても包囲網を完成させることができる。。
 そう思ってやって来たのだが、トグサは少しばかり後悔し始めていた。あのまま男を追跡していた方が確実だったのではないかとの思いが、じわじわと湧き上がってくる。
 しおれるように地面を見下ろした、その時だった。
 重量物の落下音とともに、微震が靴の下を通り過ぎる。
 決断するよりも早く、トグサはその震源の方へ飛び出していた。
 道路とは言えない、倉庫と倉庫の間の、その奥。
 そこで、誰かがむくりと立ち上がる。
 その光景に、トグサは既視感を憶えた。
 あの、第六再開発地区だ。
 あそこでトグサは、男と出会った。
 その男をやっと捕まえたと思うと同時に、トグサは一歩引く。
 あの背はなんだ。ふくれ、丸まった猫背は。
 あの肩はなんだ。杭打ち機でも取り付けたような、伸び上がった異物は。
 あの手はなんだ。なぜ、人型の頭部を掴んでいる?
 違う、あの男じゃない。あれは──。
「警察だ! 違法義体所持の疑いで拘束する!」
 銃を構えると同時に、トグサは叫んでいた。その半瞬あとに、両腕で顔をかばう。もう半瞬後に、吹き飛ばされそうな程の衝撃がトグサの腕を襲った。骨が砕けそうなほどの痛撃に銃を取り落としそうになりながらも、トグサはそれに耐える。しかし、衝撃を相殺するほどの体力をトグサは持ち合わせていなかった。倒れ伏すことは何とか避けたものの、腰をしたたかに打ち付け尻餅をつく。
「ぐうっ!」
 しびれる両腕を振り回すようにして地面を掴む。立ち上がろうと顔を上げた時、目の前いっぱいに黒い影が広がっていた。振り上げられる、丸太のような腕。目の端に転がるのは、トグサに向かって投げつけられた頭部だ。
 やけにゆっくり転がるそれを視界の隅に捉えながら、トグサは再び両腕を頭上で交差させる。
 無意味だということは解っていた。
 違法な出力を持つ義体の破壊力は、生身のトグサに防ぎきれるものではない。投げつけられた人型の頭部で腕が折れなかったことは奇跡なのだ。
 無意識に体を縮こまらせ、きつくまぶたを閉ざす。横切る妻の顔。遠のく娘の声。
 意識の奥底からなにやら言葉が浮かび上がってきた刹那、トグサの頭上に降ってきたのは、低い男の声だった。
「下がれ!」
 その声に弾かれるように、トグサは顔を上げた。正面に、一つに束ねられた長い白髪が揺れている。鞭をしならせるようにその尾を大きく揺らして、男は肩越しにトグサへ顔を見せた。その男の銀色に鈍く光る義眼に射抜かれて、トグサは酸欠の魚のように何度もあえぐ。
 やっと見つけた、やっと視線を捕まえた──念願叶った気分の高揚に、トグサはすっかり現状を忘れ去っていた。
「下がれってんだよ!」
 トグサが探し求めていた男は襲撃者と組みあい、力の拮抗を作り上げていた。それを押して発せられた二度目の言葉でやっと我に返ったトグサは、尻餅をついたまま、なんとか少しだけ後退る。
 それを待ちかねたように、細く空気が鳴った。同時に、義眼の男と組み合っていた男が左肩を跳ね上げる──いや、はじき飛ばされたのだ。
 二度、三度と間をおかず空気が男を襲う。堪えきれなかった男はたたらを踏むと、踵を返して逃走を開始した。
 もう一度だけ、わずかに振り返った義眼の男がそれを追う。そしてどこに潜んでいたのか、黒い影の追随者が数名現れ、トグサを追い抜いて男に続いた。
 トグサが銃を構えてから襲撃者が逃走に至るまでの間、一分も無かっただろう。その時間感覚もわからないほど、義眼の男達の去った方向をトグサは立ち上がる事も忘れて呆然と見やっていた。
 
 そんなトグサがうつつに戻ってこられたのは、背後からかけられた女の声のお陰である。
 露出度の高いタイトな衣服を身につけた女はただ、トグサを見下ろしていた。
「立てるか」
「あ、ああ」
 手を差し出すでもなく、のろのろと立ち上がるトグサを値踏みするように視線を向ける女は、トグサが口を開くよりも先に命令を下した。
「この件は九課が預かる。お前は本庁へ帰れ」
 視線同様の鋭い声に気圧されて反論もできないトグサに、女は顎をしゃくってみせた。
「送ってやる。あの男に付いて行け」
 命令を聞く理由はなかった。言いたいことがあったし、聞きたいこともあった。胃の腑の辺りにそれらをない交ぜにした、もやもやとするものがあった。しかし、女の視線や声に毒抜きされたかのように、言葉が口からこぼれ出ることはおろか、トグサ自身が出そうとしようもしなかった。
 ただ静かに下された命令。それは聞き入れるべき言葉だと本能が悟っている。トグサはそれを受け入れただけだ。
 チンピラのような風貌の男に促されるまま、トグサはその後に続く。
 女が名乗った『九課』とは、テロの芽が萌芽する前に摘み取る荒事を活動の主軸とする、公安九課のことだろう。噂を聞いたことはあった。トグサが実際に目にしたのは、これが初めてのことだ。
 となれば、助けに入ってくれた義眼の男も、九課のメンバーに違いない。神戸の殺人事件に関与していた訳ではなく、捜査か何かで偶然遭遇しただけなのだろう。そんな折に出会ったのであれば、とっさに身を隠したこともおかしいことではない。きっとその後、何かの手がかりからデータ検索して、トグサが本庁の刑事であることを突き止め、それを仲間に報告でもしたに違いない。だから女は「本庁まで送る」と言ったのだろう。
 倉庫と倉庫のすき間からの出口を塞ぐように停められたバンに乗り込む前、トグサは一度だけ振り返った。
 女の姿は無い。
 それはどうでも良かった。
 義眼の男の視線をもう一度、掴みたかっただけなのだ。
― 続 ―
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