「西脇か」
「また、仕事しているんですか」
「暇なんだよ」
内藤さんは一度も俺を見ようとはせず、ノートパソコンの画面を注視している。入院していても仕事はできると、部下に命じて持ち込ませたものだ。静かに養生してくださいとの部下の懇願も、「なら退院する」の一言で一刀両断にしてしまった経歴がある。
「このオヤジに何言っても無駄です。居場所がわかるだけでも安心と思っておいた方が、胃に優しいと思いますよ」
「そうですね。わかりました……」
普段の行方不明ぶりを思い返した氏木さんが、肩を落として帰って行くのを見送ってすでに五日。以来俺は、暇があればここに通っている。
「大体、最初は二三日の入院って話だったじゃねーか」
「それは最低でも二三日は安静にって話であって、入院期間の話じゃないでしょう?」
「──ちっ」
センセイに頼んで、無理矢理に退院を引き延ばしてもらったのは秘密だ。氏木さんも、内藤さんに休んで欲しがっていたし。大体、働き過ぎなんだよ、この人。
「リンゴ、食べますか?」
「おう。切ってくれ」
既に勝手しったるで、この個室に何があるのか熟知済みだ。椅子を持ち出してベッド脇に腰掛ける。内藤さんが椅子を勧めてくれることもない。まあ、これは当初からのことだけれども。いろんな意味で、この人は俺に遠慮も気遣いもない。だからこそ、俺は好き勝手にやれるのだけれども。
サイドテーブルにしまい込んである必要な一式を取り出し、手早くリンゴの皮を剥く。
「ウサギさんがいいです?」
「──全部きれいに剥いてくれ」
「可愛いですよ?」
「いや、そんなことはいい……」
リンゴを六等分に切り分け皿に並べる。そして、一つに爪楊枝を刺してから差し出した。
「剥きましたよ」
「今、手が離せん」
どうやら会議中らしい。書類作りだけだと念押ししていたのに、目を離すとすぐこれだ。
「内藤さん……」
「食わせてくれ」
視線を画面から離さずに、あーんと口を開ける仕草が子どもっぽくてかわいらしい。怒りとも嘆息ともつかないもやもやした感情は、たったそれだけのことで吹き飛んでしまった。
皿に並べたリンゴを皿に半分ずつに切り分け、一つを内藤の口に放り込む。
「ん、美味いな、これ」
内藤さんが美味しそうに頬張るから、次々に口へ放り込む。すると当然、瞬く間にリンゴは無くなってしまった。
それに気づいた内藤さんはやっと指を止め、俺に顔を向ける。
「お前の分まで食っちまったな」
「構いませんよお見舞いなんですから──」
身を乗り出して、内藤さんの実に一瞬だけ口づける。それでも、紅唇を味わうには充分な時間だ。
そして、予想通りの味覚に、俺は眉根を寄せた。
「──甘い」
「それが美味いっていうんだ」
ぱかり、と頭を殴られる。
「どうして殴るんですか」
「いらんことするからだ。馬鹿者」
「いらんことって?」
「ったく、ガキが」
内藤さんは俺の質問に答えることなく、中断していた作業を再開した。
何でもないって顔をしていたるけれど、内藤さんの頬は薄赤に染まっている。
俺は見逃していませんよ。その、リンゴのような頬を。
― 了 ―