「石川、こいつ借りていくぞ」
自分には了承を求められぬままに連れて行かれたのは、館内にいくつかあるブレイクコーナーの一つ。
そこに座れと指示されたのは、誰も居ないのに端のベンチの、さらに端だった。
不承不承その通りにすると、ホットコーヒーを手渡される。
「飲み終わったら起こせ」
俺から少し距離を置いて同じベンチに腰掛けると、ごろりと横になる。そして、頭を脚の上に乗せられた。
非難の声を発するよりも先に、ぐがっといびきをかき始める。
「なんだかなぁ」
呟いて、コーヒーに口を付ける。
「これ……」
知ってるくせに。俺が甘いもの嫌いだってことを。
たったSカップのコーヒー一杯を飲み干すのに、半時間はかかりそうだ。
「憶えておいてくださいよ」
気持ちよさそうに膝枕を享受する、男の鼻を軽くつまむ。
そして眉根を寄せたまま、超微糖のコーヒーにもう一度口をつけた。
■2
たまに利用する、館内にいくつかあるブレイクコーナーの一つ。
その「たまに」の時に必ず同行する男は、いつもの様に俺の脚を枕に、高いびきをかいていた。
国際指名手配とされている世界規模のテロリスト集団の指導者格の男が日本に密入国したそうで、その対処に、ここ数日走り回っていたそうだ。事が起こるのは困るが所在がわかるのは良いことだと、男の部下がこの間ぼやいていた。
そのせいか、今日の寝付きはいつもより良い。もともと、忙しいと睡眠時間を削る人だが、この数日はいつも以上に忙しかったようだ。
だからだろう。枕のお礼とばかりに手渡されたのは、超微糖のホットコーヒーだ。
甘い物が苦手な俺が全て飲み干すには時間を必要とすることを見越して、自分が少しでも長く眠れるようにこれを選んだに違いない。
だが俺が、その味を美味く感じられるようになってきたことには、気づかない。
たまには甘いモノもいいものだと、寝癖の付いた男の髪をゆるく梳きながらコーヒーに舌鼓をうつのが、最近の楽しみの一つになっているのだけれど。
■3
たまに利用する、館内にいくつかあるブレイクコーナーの一つ。
その「たまに」の時に必ず同行する男は、いつもの様に俺へ紙コップを手渡した。
いつもと変わらぬぬくもりだが、漂ってきた匂いに俺は眉をひそめる。
「これ、いつものやつと違いますよ」
「当たり前だ、別のを買ったからな」
黒鳶色を期待していた俺に、とても甘くて美味いと評判の小麦色の液体を渡した男は、片眉をそびやかして俺を見下ろす。
「おごってやってるのに、わがままなヤツだ」
「おごってって……俺を枕代わりにする代価でしょう?」
「いいや、お前を足止めしておく枷だ」
「──おごりじゃないんですか?」
「じゃあ、おごりだ。好意なんだから、文句言わず飲め」
にやりと唇をゆがめた男は、いつものようにごろりとベンチに寝ころんだ。
当然のように、俺の脚を枕にして。
■4
最近、常連客の様相を呈してきた、館内のブレイクコーナーの一つ。
俺を先にいつものベンチに座らせ、膝枕の駄賃代わりにいつものコーヒーを買おうとした男に声をかけた。
「今日はいりません」
「なんだ、無料奉仕する気になったか」
「してもいいですけれど、条件があります」
「条件?」
いぶかしむ男を手招いて、正面に立たせる。
「なんだ、条件って。忙しいんだから早く話せ」
「忙しいって言ったって、ここで一眠りする時間はあるんでしょ?」
「そりゃ、まぁな」
「じゃあ」
男の手を取って、その指先を唇で挟む。男は驚いたようだったが、手を引きはしなかった。
「俺のモノになってくれるんだったら、好きなだけ膝枕しますよ」
男は手を引かなかった。代わりに、もう一方の手で俺の頭をぐちゃぐちゃとかき回す。
「ずっと前からお前は俺のモノで、俺はお前のモノなんだよ」
そっぽを向いたって、どんな顔をしているのかわかっているのに。やっぱり、かわいい人だなぁ、内藤さんは。
― 了 ―