その書類の担当は自分と、開発班に加わった新戦力の植草。
他のメンバーが定時にあがり、二人で居残りを始めて数時間が経っている。そろそろ腹が減ってきたな、と思った頃、隣のパソコンで作業をしていた植草が、どこぞのホラー映画よろしく、突然首をぐりんとねじ曲げて話しかけてきた。
「くぁんさん、中国のちゅーと日本のちゅーって、どう違うんですか?」
今まで黙々と作業をしていたのにもかかわらず、突然口を開いて出た質問がこれだ。第三者からみれば、「やっぱり植草は不思議ちゃん」に見える質問だが、これにはちゃんと前置きがある。
消失したデータのバックアップを必死に探している時に、我々以外の開発班メンバーがのんきに討議していた議題なのだ。『ちゅー論』を熱く語る欧米組に対して頷くしかできない日本人ペアでは、討議もクソもなかったが。
それが五時間ほど前のことだということに目をつぶれば、植草の行動に『唐突』という形容詞は付かない。
質問内容とは裏腹に飄々と尋ねる植草へ、うむ、と頷いてみせる。
「いいところに気が付いた、うえぽん」
キャスター付きの椅子に腰掛けたまま、それを引きずるように植草へ近寄り、彼を椅子ごとぐるりとまわして向き合わせる。
そして、軽く唇を合わせた。
「わかった?」
植草は少しだけ眉間にしわを寄せると、首を横に振る。
「わからない」
「うーん。わかりやすくしたんだけどなぁ」
「もう一回」
請われて、もう一度唇を重ねる。
「どう?」
植草は、またも動作を繰り返す。
しかたないなぁ、と大げさに溜め息をついて、今度は植草の頬を両手で包み、深く口づけた。
植草を充分に味わって、最後に下唇に歯を立ててやる。
「どう?」
「──ヒゲがちくちくする?」
首を傾げた植草は、本当にわからないようだった。
「ぶっぶー、ふせいかいー」
「答えは?」
「ひーみーつー」
不揃いの髪があちこちに跳ねる頭を乱暴に撫でて、植草を椅子ごとパソコンに向き合わせる。
「わかるまで明日から特訓決定だな。覚悟しろよ、うえぽん」
「むー」
植草は眉間にしわを寄せ、口を「へ」の字に曲げたまま、作業を再開した。
自分もパソコンの前に戻り、同じように作業へ復帰する。
『ちがわない』という答えに植草が行き着くまで、何日かかるだろうと思いながら。
― 了 ―