「室班、見学者と議員の避難を優先させろ! 手の空いている者は北館玄関に急げ!」
「外警三班は現場に急行。一班、二班は国会周囲を警戒!」
北館玄関は怒号に包まれていた。
門を突き破り、三トントラックが突っ込んできたのである。南館の玄関にトラックが突入してから五分後のことであった。
南館のトラックは門柱に体当たりして足を止めたが、北館のトラックは門柱に車体をこすりつけながら敷地内に侵入し、ハンドルをさばききれず緑が濃くなり始めた桜に衝突してやっと停止した。
立て続けのアクシデントに、西脇と中央管理室からの指示がインカムから絶えることなく続いている。
「本木! もう少し下がれ!」
「ここからじゃ奥の方に届かないっす!」
「防火服を着てないんだぞ。万一を考えるんだ!」
先頭に立ってトラックへ引火抑止剤を撒く本木を、池上は引き戻す。
「でも!」
「いいから!」
もう一度、池上が本木の肩を引いた時、やっと防火服を着た隊員が到着した。すぐに運転手の救出にとりかかる。
入れ替わるように、本木の横を通り抜けた人物がいた。石川である。
石川は特殊な装備を身につけてはいないのに、トラックの側で平然と指示を出していた。
「教官があそこにいるんだ。俺だって……」
「教官だからあそこにいるんだ! 本木が行ったって足手まといなんだ!」
羽交い締めにされた本木は、じっと石川を見つめた。その姿勢は、一挙手一投足を全て目に焼き付けようとするかのようだ。
「どうだ、運転手は助け出せるか」
「車体に足を挟まれているようですが……すぐに救出できます」
「よし、早く運び出せ」
石川は静かに指示を出す。本木は一言も聞き逃すまいと、神経を集中させる。
「中央、もう一つ何かが来る可能性がある。監視カメラを総稼働させて警戒しろ。岩瀬、南はどうなっている」
そこでやっと、本木は岩瀬がいないことに気が付いた。ほぼ同時に起こった騒動で、岩瀬は終息しつつある先の現場に残されて来たようだった。
石川は一言二言指示を下すと振り返り、トラックの周囲から一時避難した者へ指示を出した。
「防火装備の者は抑止剤を撒け……消化器も用意しろ。処理班は荷台を」
石川の指示に、本木は石川の側へ駆け寄ったが、池上にまた引き戻された。
「いったん離れよう」
本木には不満だったが、仕方なく池上の指示に従った。指示を無視して大けがをすれば、自分だけでなく石川に迷惑がかかる、ということまで気が回るようになっていたからだ。
トラックの横では、特殊鋼材の盾をも持った爆発物処理班が仕事に取りかかっていた。
荷台に張られた幌の隙間からファイバースコープを差し込んで中の様子を探る。踏み込むと同時に爆発する仕掛けを警戒しての処理だ。
チェックを終えた隊員は、慎重に後部の幌を引き開けた。ライトを点け、中を確認する。
「隊長、ありました! ですが時間が……」
「全員、たい……」
空気の拳に殴られた──本木はそう思った。
ドン、と腹の底のに響く重低音が全身を突き上げたかと思うと、一瞬意識がなくなった。
全身の痛みで数瞬ののちに気が付くと、地面に転がっていることを本木は自覚した。顔を上げて周囲を見回すと、他の隊員も倒れ伏し、視界の端では黒煙がもうもうと立ち上っている。
「な、に……?」
「本木、大丈夫か!」
駆け寄ってきた西脇は、もたもたと立ち上がった本木に怪我はないかチェックを始めた。それに身を任せた本木は、ぼんやりと周囲を見回し……あるものを見つける。
「岩瀬……補佐官……?」
岩瀬は石川を抱きしめた格好で、低木の茂みへ横倒しに倒れ込んでいた。
一瞬、石川が岩瀬の着ぐるみを着込んだのかと思うほど、岩瀬は全身を使って石川を包み隠すようにして守っている。
「なんで、岩瀬補佐官が……? 北館にいたはずじゃあ……」
「当然だ」
西脇は周囲に素早く目を走らせながら、動きの鈍い本木の回復を待つ。
「岩瀬は絶対に教官を守る。いつでもどこでも教官を守る。どんなに離れていてもだ。だから俺は安心して教官を託しておけるんだ」
「西脇さんが、安心して……?」
「そう。他の班長たちだってそうだ。一番頼りにしているのは、教官自身だと思うがな……さて、体に異常はないな。早速消火作業にかかれ」
「はい。行くぞ、本木」
駆け寄ってきた池上と合流した本木は、すでに他の隊員たちが動き回っていることに驚いた。
警備隊に入隊して数ヶ月、本木はすっかり一人前だと思っていた。だからこそ、石川に認められたいと思っていたのだが、それは間違いだと気が付いたのだ。まだまだ新人のままなのだと痛感した一瞬だった。
石川と岩瀬がまだ灌木のベッドに倒れ込んでいるのが見えたが、石川は大丈夫そうであった。聞こえはしなかったが、二人が会話を交わしているのがわかる。
爆発の直前、石川の側には何人も隊員がいたが、石川に注目していた本木が一番早く石川を庇えたはずである。それなのにそれを一足飛びに飛び越えて、一番遠くにいたはずの岩瀬が石川を守った。それも、トラックの側にいた石川を無傷に近い形でだ。それでいて岩瀬も大きな怪我はしていないらしい。
それが石川に認められる理由なのかと、本木はぼんやりと感じていた。
この一連の事件は、四月頭の事故を含め、教官である石川を暗殺するためのものであることが、後日わかった。
爆発を起こしたトラックの爆発物は複数存在していたが、爆発物自体の威力の弱さに加え、連動装置が誤作動で動いていなかったことなど、もろもろが幸いし大事には至らなかったのである。
荷台に乗り込んでいた処理班の数名が重傷を負ったが、命に別状はない。爆風に煽られた十数名が軽傷を負い、桜の木折れてしまう被害で済んだのは幸いであった。
■ ■ ■
「──で、どうだったの?」「手も足も出なかった!」
ずかずかと部屋へ入り込んできた本木を、野田は静かに笑いながら出迎える。
トレーニング室から直接やってきた本木はベッドに倒れ込み、大きく手足をばたつかせた。
一年と少し前、本木が入隊してきた当初もこんな風に暴れたな……と野田は当時を微笑ましげに思い出していた。
当時は本木と同室であった。半年に一度の部屋替えを二度経験してすでに部屋が別れてしまったが、こうして本木は野田に会いに来てくれる。
野田にとって、それはささやかであり、最大の幸せだった。
「黒星、ちょうど七十個目だね」
「──いちおう俺、ヘコんでるんだぞ。ちょっとは慰めてくれよ」
「じゃあ、慰めようか?」
「そんなんで慰めて欲しくない」
ベッドの脇に腰を下ろした野田は、本木の髪をそっと梳いた。
「じゃあ、岩瀬さんに勝つの、諦める?」
「諦めるもんか! 俺は諦めない男だ! 絶対岩瀬に勝ってやる!」
「それでこそ惣伍だよ」
ぽんぽん、と頭を叩かれて、本木は口をへの字に曲げた。子ども扱いされたことが納得いかないらしい。
だが、本木は野田の手を払いのけるようなことはしなかった。本木はこの手が、大好きなのだ。
「俺、絶対に諦めないからな」
寝っ転がったまま、野田の腰にそっと手を回す。
「勝ったら俺、胸張って由弥の横に立ってやる……」
「──うん。応援しているからね」
すぅ、と本木は瞬く間に寝息を立て始めていた。
通常勤務をがんばって、岩瀬との勝負にがんばって、いつもの生活も一生懸命で……そんな本木が、野田は大好きだった。
ずっと頭をなで続けて、ずっとそばに居てくれる野田を、本木も大好きだった。
あこがれの石川よりも誰よりも、野田の横にいたくて、本木はいつもがんばるのだ。
今までも。
これからも。
― 了 ―